8月30日 白杖で跳べる 伝えたい

難病「網膜色素変性症」で視野をほとんど失った埼玉県所沢市の大内龍成さん(24)は、白杖を頼りにスケートボードを滑るブラインドスケーター。「自分が障害者の心を突き動かしたい」と活動の動画を交流サイト(SNS)で発信している。

自身の病気を知ったのは、幼い頃から隠れんぼをした際に暗いところに隠れた母に気付かないことがあって目の病気を疑っていたが、小学校入学時の検査で網膜色素変性症と診断された。小学4年生から中学3年生まで剣道をしていたが、最後の方は竹刀の動きを目で追うことができなくなっていた。現在は、天気が分かるぐらいに光を感じるが、視野の95%以上を失い、白杖なしでは生活できない。

そんな彼がスケートボードとの出合いは中学3年生。友達のデッキ(板)に乗せてもらったら、めっちゃ楽しかったので、親に買ってほしいと頼んだら、「目が悪い自分のことを分かっているの?けがが心配」と猛反対。使わなくなった用具を友達にもらって滑っていたら、親にばれ、「そんなにやりたいか。分かった、買ってあげる」と許され、本格的に始めた。

症状が重くたった高等部では、勉強もスケートボードも諦めかけ、障害者とみられることが嫌で、白杖を持つことに抵抗があった。この頃、友達が白杖を使って滑る米国のスケーターを教えてくれ、「見えなくてもスケボーしている人はいるし、練習すれば大丈夫」と励ましてくれた。挑戦したら、白杖を持つと上半身が使いづらく、トリック(技)の先行動作が制限されるためこんなに難しいのかとびっくり。パーク(スケボーの専用施設)で滑れるようのなるまで1年かかった。

白杖は、自分という障害者を周囲に分かってもらえるためにも必要だと気付いた。パークで滑る彼を仲間は応援してくれる。多くの障害者を理解してもらうには、言葉だけでは難しく、百聞は一見にしかずで、障害者がどんどん世の中に出て付き合いを増やし、その生きづらさや可能性を分かってもらえることが大事だと思っている。

現在の活動は、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得し、鍼灸師として働きながら滑っている。スケボー動画を投稿しているユーチューバーと知り合い、出演したことで彼の存在が広まり、インスタグラムに投稿したら数人のブラインドスケーターが誕生するなど、もっと仲間を増やしてパラリンピックの競技にしたいと思っている。

「俺のスケボーは、もうただのスケボーじゃない。続けることで救われたし、俺の活動が障害のある人が何かに挑戦するきっかけになればいい。そうすればブラインドスケーターとしての意義が深まるし、光栄です」と話している。

(中日新聞 2024年8月26日)

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