2024.3.4  幸せの黄色 in ペルー その2

マチュピチュ遺跡はアップダウンあり、1日かけて歩くと1万歩超。

ナスカの地上絵へまでは、セスナでアンデス山脈を越え、砂漠を渡り、旋回飛行で主翼が指す絵を見ます(探します)。

スコール・乗り物酔いなどアクシデントも。

百聞は一見に如かず。

 

クスコは3360Mの標高で、マチュピチュも含め訪ねた村や塩田はアンデスの高山地帯にあります。

アンデス=高山病。

医学部時代に勉強した記憶が呼び起されます。

 

高山病とは、気圧が低く酸素濃度の低い高地へ行くことで、体内で使える酸素が少なくなり.頭痛・吐き気・嘔吐・ふらつきなど(酔った感じ)が起こる病気。

高度が下がるにつれて症状は改善しますが、ひどい場合は酸素吸入やダイアモックス@(炭酸脱水素酵素阻害薬)を用います。

脳の血管を広げ血流を増加、脳内の低酸素状態を改善。

3000M以上の高地では発症率は約40%。

ダイアモックス@の内服が効くと言われています。

 

ダイアモックス@は、実は眼科医にはおなじみの薬です。

眼圧がある程度以上高くなった時に眼圧を下げる内服薬としてよく処方されていました。

カリウムが不足することが多いのでカリウムを同時に出したり、全身の副作用に注意しなければいけませんでした。

しかし25年ほど前に、同じ成分の点眼薬が発売。

緑内障治療において画期的な点眼薬の登場です。

今では緑内障患者さんに、同種の内服薬を処方することはほとんどありません。

 

幸い高山病にはなりませんでしたが、クスコよりも標高の高いチンチェロ村(3750M)では空気が薄い自覚はありました。

長閑な山岳農村地帯で人々は普通に生活しています。

(医学部ではなぜアンデスの人々が高地で普通に生活できるかも勉強しました)

やや小太りの浅黒い顔、山高帽にカラフルな民族衣装。

 

アルパカやリャマの毛を糸にし、染めて織っていく伝統工芸。

赤はカイガラムシをつぶしたコチニール色素から出す貴重な色だそうで、その深紅色に魅せられてしまいました。

 

 

マラスの塩田(3200M)は、泉から湧き出る塩水が流れていき、約3000の棚田を作っています。

塩水を天日で乾燥させて塩を生成するそうです。

段々の緑の田んぼではなく、全部真っ白な塩の田んぼ。

巨大なチョコレートのかけらのようです。

塩田ごとに所有者が違い、嫁入り道具として使われるとか。

 

ペルーは美食の国とのこと。

ほとんどの食材が手に入るそうです。

中でもジャガイモはペルーが発祥とされており、何十種類も。

市場でもカラフルなジャガイモが多種売られていました。

乾燥芋(天然のフリーズドライみたいな)もあり、何十年と経たものでもお湯で戻せば食べられるそうです。

ガイドさんに、インカの目覚め(日本産ジャガイモの名)を教えたら喜んでいました。

 

そしてコカ(の葉)。

コカの葉から抽出されたコカインは麻薬(違法)だけでなく、麻酔薬として医療用に用いられています。

ペルーではコカの葉が普通に売られています。

コカ茶やコカ飴も。

コカの葉自体はコカイン濃度が低いので、依存性は抽出コカインに比べて低いそう。

現地の人たちは好んで口にします。

高揚感が出たり、疲労空腹の軽減になるそうです。

コカを含んだ食物は国外に持ち出し禁止なので、珍しさで買ったコカ飴はペルー内で消費しました。

 

ペルーの魅力はまだまだたくさん。

わずかですが、行って見て知ったからこその産物。

Gracias peru!(ペルー、ありがとう!)

 

 

3月2日(日)の中日新聞に記事が掲載されました。

 

 

 

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2025.2.18   幸せの黄色 in ペルー その 1

『面会希望の方がみえています』

『誰?』

名刺を見ると『駐名古屋ペルー総領事』

心当たりはありますが、まさか?!

 

大晦日から新年をペルーで迎えた院長です。

新年を祝う色は黄色。

町の飾りも黄色一色。

黄色い布や風船がはためていました。

お店では、黄色の下着が積まれていました。

黄色い下着で新年を迎えると幸運が訪れるとのこと。

(巣鴨商店街の赤い下着のディスプレイに似ています)

 

マチュピチュ村での年越しは、各自黄色いものを身に着け、花火を打ち上げます。

院長も黄色い造花の首飾り(診察室にあり)をして、花火を見ていました。

24時を過ぎると、黄色い花びらのシャワーが。

花火に興じる人、ワインで乾杯する人、抱き合う人、色々でした。

 

日本の紅白・中国の赤以外に黄色一色のお祝いムードに圧倒された院長。

赤が一番好きな色ですが、次は黄色になりました。

色だけでなく、様々な体験に興奮冷めやらぬまま帰国。

溜まっていた新聞に目を通していた時のこと。

某新聞の外交便りにペルー総領事の寄稿が。

ペルーのお正月の縁起の良い黄色について書かれていました。

そうそう、これこれ。

休刊にしておかなくてよかった。

嬉しくなり、早速お手紙をしたためた院長。

 

まさか、直接来訪されるとは…

総領事さんは非常に温厚な感じの方。

ちょうど空輸(スーツケースに入れて)したインカコーラ(ペルーの黄色いコーラ)があったのでお出ししました。

通訳を通し(スペイン語なので)、手紙を読んだこと、ペルーに来てもらい感謝していることを述べられました。

旅の思い出、ペルーについて民族・生活・医療・文化など現地で知ったり感じたことを話しました。

 

また、ペルー人の日本語ガイド第一人者が書いたペルー(特にインカとアンデス)についての本を購入し、読んで学んだ感想も。

 

ペルーは日本の国土の3.4倍。

スペインの植民地を経て1821年スペインから独立。

スペイン人(白人)のような顔立ちもあれば、アンデス(先住民の血が入っている)の顔だちもあれば、日系人(アジア系)もあり、あらゆる血筋の人々の国です。

新疆ウイグルへ行った時もそうでしたが、世界には色々な人であふれており、共存していることを改めて感じます。

公用語はスペイン語ですが、アンデスのガイドさんは普段はケチュア語を話すと言っていたし、日系のガイドさんは日系1~2世とは日本語で話すそうです。

日系人は勤勉ゆえ、どの業界でも要職にあるそうです(日系のガイドさん談)。

ただし、そこまでの苦労は並大抵ではなかったとのこと。

経済の多くは観光業で支えられているためか、ガイドさんはペルーへの来国の感謝と自国の素晴らしさをアピールしていました。

 

世界遺産だけでなく、自分なりに垣間見た文化や生活はずっと記憶に残ります。

 

『またペルーに行きたいですか?』と聞かれ、

『はい、是非!』とは言ったものの

『かなり遠いので、なかなか直ぐには…』と付け加えると

『うん、うん』と頷かれました。

 

『知りたいことや行きたいところがあったら何でも質問・連絡してください』

『はい、是非!』

たくさんのペルーの観光パンフレットを持って来られました。

アマゾンも気になる…

ペルー再訪実現するか?!

 

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