2024.9.24  大家好(こんにちは)!  その4

夜遅くトルファンで待っていたのは、いわゆる中国人顔でないガイドさん。

これからウイグル族のお家で夕食です。

ここからのガイドCさんもウイグル族です。

 

新疆(しんきょう)ウイグル自治区は中国の最西端、中央アジアに隣接しています。

省・自治区でも最大の面積を持ち、地下資源が豊富、また農作物にも恵まれています。

近年は漢族(いわゆる中国人)が入植し増加(42%)していますが、元々のウイグル族が45%、他50以上の少数民族から成り立ちます。

個々の民族が自分たちの文化を持ち、融合もしなければならない時代背景あり。

 

訪問したのは、郊外の農村です。

ウイグル族はイスラム教徒なので、豚肉料理は無し。

ナンというパン(インドのとは違う、乾いたピザクラフトみたいな)。

麺やスープの味付けは、エキゾチック。

テーブルクロスやカーテンも食器もウイグル特有の模様。

さっきまで日本語(私たち向けに)と中国語(先生向けに)に話していたCさんも、家人たちとウイグル語で会話。

 

トルファンは夏は40℃以下なら涼しい(最高49℃!)そう。

農村部ではベランダにベッドが置いてあります(夜寝る)。

滞在した日は最低24℃・最高41℃日差大。

1月の平均気温は最低-13℃・最高-2℃。

年間平均降水量は16mm!

完全な砂漠気候です。

 

世界遺産の高昌古城などの見学に、砂漠の中を走っていきます。

中国の観光は、国土が広いため、市中からチケット売り場まで200キロ、そこから専用バスに乗り換え40分なんてこともあります。

 

面白かったのは、火炎山の砂卵。

注文すると、店番の子供が傍らの砂山に埋めてある卵を手渡してくれます。

砂の地熱でいい塩梅に火が通っています。

砂山に埋めた卵を売るだけですが、観光客相手に、この一家の大事な商いです。

 

バスでウルムチに入る時に、全員一度降りて検問。

最後の訪問地です。

モスク(イスラム教の礼拝堂)があちこちに見えます。

もちろん漢字とウイグル文字(アラビア文字ではない)の併記。

 

ウイグル族はイスラム教徒です。

敦煌でのバス運転手さんは、中国人でしたがイスラム教信者の回(かい)族でした。

また、民族により多数の宗教があり、大陸の交流・侵攻により宗教も文化も大きく流動する様を感じました。

ウルムチは近代的なビルが立ち並び地下鉄もある350万人都市。

街の中心のバザールでは、どこの国に来たのかと思うほど。

ドライフルーツや漢方・パン(ナン)・果物や日用品・洋服などなど。

人を観察すると、カザフやキルギス系・モンゴル系・インド系・トルコ系・ロシア系と思われる顔立ちの面々。

民族衣装を着た人もたくさんいます。

 

 

日本の単民族国家で生活してきた院長にとっては、とても新鮮な驚きでした。

同じ仲間とは自分たちの言葉で。

私たちや中国人とは中国語で話します。

私『いくらですか?』

『○○元(数字の聞き取りが弱いことを猛省)』

すかさずお助け隊が入ってくれます(先輩たちも会話したい)。

私『高すぎる、安くして』(とりあえず言ってみる)

『○○(数字が出ると、まだすぐに日本語変換できない)』

お助け隊で解決しない時はA先生がヘルプです。

 

たくさんの刺激を受けた研修旅行。

いくつになっても興奮!わくわく!

話しかける度胸はあっても、お助け隊のお世話になること多々。

話して…?、聞いて…?だらけでしたが、たくさん課題も見えてきました。

もっと出来るようになりたい!

加油(頑張れ)!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024.9.10  大家家(こんにちは)!  その3

敦煌最終日は、中国3大夜市の敦煌夜市に行きました。

日没は8時半くらいなので、人々は昼間休憩してから、また活動を始めます。

深夜を過ぎても賑わっています。

色々珍しいものがあり、ついふらふらと店に寄って行ってしまいます。

焼いた羊の頭・駱駝(ラクダ)の乳などなど。

『水晶眼鏡』も気になりました。

水晶のサングラスです。

この眼鏡だと猛暑でも涼しいとのこと。

すごく気になったのですが、『チャングウチャン、行くよ~』

先輩方は、あまり立ち止まりません。

こども(院長)が気になるとあちこち行ってしまうのを抑えてくれています。

謝謝。

 

旅行中、昼食・夕食はすべて中国料理のコースでした。

円卓を囲んで座ります。

ビールは冷えていましたが(ガイドさんの気配り)、コップは冷えていません。

お代わりの瓶ビールはぬるめです。

中国人は、冷たいもの(キンキン)を好まないそうです。

電解水や水・ジュースは冷えたものがありますが、常温~温かいお茶が好みのよう。

 

前菜・湯(スープ)・主菜何品か・主食・点心(デザート)

スープは具沢山です。

鶏肉・豚肉・牛肉・羊肉の炒め・煮込みなど…多種多彩。

魚は、川魚(30センチ以上)の活魚の蒸し焼き料理が出ました。

青菜だけでも2・3種類味を変えて出てきます。

主食は、米飯・麺(麺は色々な味付け)

デザートは、ほぼ西瓜と瓜。

時々、白きくらげのシロップ漬け。

A先生の大好物なので講釈(店による違い)も。

日本の中華料理よりもあっさりしているものが多く、肉魚に加え野菜も多く、医食同源を実感します。

ちっとも飽きない、日本にはないけれど馴染みやすいお料理ばかりでした。

 

食事の際は、原則、A先生は中国語で話します。

まずは中国語での自己紹介から。

『初めまして。私は長谷川公です。昨年から中国語の勉強を始めました。先生と勉強するのが楽しいです。でも、まだ上手く話せません。

趣味は、旅行と読書と筋トレです。よろしくお願いします』

 

名前紹介時『こういう漢字の○○です』を付けると良いらしい。

先輩たちは、もっと自己紹介が長いので、何回かに分けることになりました。

 

先生の中国語は、現地の中国人よりは分かり易い(分かり易く話してくれる)けれど、院長の能力では限界があります。

みんなの会話は聞こえるのに付いていけません。

大人の食事会に子供が付いて行ったよう。

食後『さっき、何の話でした?』と度々聞く羽目の院長。

最年少=中国語能力最低を再度自覚(やれやれ)。

 

中国では、入国から始まり、観光場所・鉄道・高速道路の検問所などなど毎回パスポートの提示が求められました。

個人への監視・管理は徹底しているよう。

悪いことはしてなくても緊張します。

 

トルファンへは鉄道で。

この検問がまた厳しくて、空港の保安検査場以上。

余裕をもって駅に入ります。

何もすることがない待合室。

しかも列車は1時間に1本。

することがないので、一人で便利店(コンビニ・キオスク)で、細々とした煮卵やソーセージ・お菓子を買いました。

中国は、駅や列車・空港などに給湯所があります。

硬水なので、多くはマイ水筒を持参(茶葉を入れて)。

 

約4時間かけてトルファン駅に着いたのは夜10時前。

駅を出た途端、何かが違います。

 

看板の文字が漢字だけでない!

空港では、英語表記があり、対比すると理解できました。

ここではアラビア文字らしき横文字が…

 

中国のアナザーワールドの旅が始まります。

 

 

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2024.9.3 大家好(こんにちは)!その2

敦煌はかつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市です。

敦煌と言えば、日本では1988年に公開された映画『敦煌』(井上靖原作)で火が付き、当時多くの日本人が訪れたそうです。

院長は見ないまま終わってしまっていました。

 

世界遺産の莫高窟(ばっこうくつ)はとても有名。

その他、月牙泉や鳴沙山、玉門関・陽関遺跡など。

敦煌博物館も。

数日に分けて現地ガイドのBさんに説明を受けました。

莫高窟では、さらに専門の研究員のガイドさんから説明。

2人とも日本語がとても流暢で、しかも歴史にも造形物にも詳しい。

そしてどんな質問にも日本語で答えてくれます。

 

16万人の都市なのに、観光客は1日20,000人!

ほとんど中国人です。

日本人の人気観光地ブームは去ったようです。

(以後も旅程中、日本人に遭遇せず。)

 

遺跡・遺産にすごい!しか言えない浅学の院長。

(メモは取ったけど)

 

敦煌での一番は駱駝(ラクダ)に乗ったこと(子供みたい)!

砂漠の山、鳴沙山には、飼い馴らした駱駝が3,000頭程。

その多さにびっくり!

みんなおとなしく座っています(ずっと同じ姿勢)。

落馬ならぬ落駱駝事故が頭をよぎりましたが、年長さんメンバー全員騎乗と言うことで、それなら最年少院長はまず大丈夫と確信。

アジアはフタコブ駱駝なので、コブとコブの間に乗ります。

立つときはまず前足から。

一瞬後ろにのけぞります(駱駝がしゃがむときは、前足からなので前のめりになります)。

ここで落駱駝しなければ大丈夫、駱駝はゆっくり優しく歩いてくれます。

駱駝引きが5頭を携えて、砂山を歩いてくれます。

遠い昔の人は、こうして(たくさん荷物も持って)シルクロードを行き来したのだな~

月の砂漠を~♪どころか想像を絶する過酷な旅だったはず。

途中で止まって写真撮影。

『ポーズを付けて!』とか言って、個々の写真を撮ってくれます。

終わるとチップを請求されます。

どの観光地でも、中国人は老若男女、写真撮影の時は手を広げたり、飛んだり、衣装を着たり…をよく見ました。

(院長より年上のA先生も、ジャンプした写真を撮ってもらっていた)

 

今、中国人に人気のあるツアーは、砂漠を1日25キロくらい歩いてフルセットの移動キャンプに泊る2泊3日のツアー。

都会の心の乾いた中国人が、乾いた砂漠を、家族や友人・仕事仲間と歩き語り合うことで結びつきの強化や再構築が出来るオアシスセラピーも兼ねているそう。

 

砂漠の暑さは相当。

連日昼間は40度近くで紫外線も強い。

長袖長ズボン帽子にサングラス。

砂嵐のためのマスクも欠かせません。

天気予報には『砂嵐』予報もあり、砂嵐になると前方が見えません。

 

皮膚からの蒸発が多いので、尿量は減ります。

ミネラルウオーター(中国は硬水)を入れても胃から吸収されなくなってきました。

念のためにと日本から持ってきたポ〇リが有り難かったこと!

胃から吸収されていく実感があります。

 

中国でも同様のドリンクが欲しい。

ポ○リは見当たりません。

スポーツドリンクってどう言うの?

『スポーツした後の飲み物ありますか?』

 

なんだっけ…と焦り、飲料・走る&汗(ジェスチャー)をしてしまった院長。

早口で尋ねられるほどに???

お店の人は、違うものを出してきました。

焦るな、私。

助けもあり、やっとスポーツドリンクを手にしました。

『電解水』

なるほど~。

新しい単語1個覚えました。

 

 

 

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2024.8.27   大家好(こんにちは)! 

台湾から帰国後、早速中国語の先生を探し始めた院長。

2023.6.20  何しに台湾 その1    2023.6.27  何しに台湾 その2

日本在住25年の中国人A講師に巡り合いました。

A先生は大学で教鞭を取りながら、私塾も運営されています。

 

個人レッスンを快諾。

中国語学習が始まりました。

院長の教材は、第2外国語選択の大学生たちと同じテキスト。

教科書を読み、理解し、問題に答えるが基本。

テキストは毎日音読(老化予防になる)し、課題も先生に確認してもらいます。

この発音は良い、これはいけない…と指摘され、『再度再度…』の繰り返し。

なんで私、中国語始めちゃった?と自問することも。

 

それでも、『大学生より頑張っています』と褒められ、『毎日中国語』の日々。

自分の教養時代を省みても、授業は単位を取るだけのものだった(今、非常に反省)から、その頃よりは相当真面目です。

ただ加齢ゆえ、記憶力の顕著な低下を実感。

丸暗記が出来なくなっています(意味づけがないと覚えられない)。

毎日何ページもの英単語のテストをクリアできた高校生の頃の自分が羨ましい…

 

最近は、診察での言葉かけを中国語でも出来るように…と、原稿?を院長が作り、先生が中国語版にし、付いて読む練習も。

『ここに顎を載せてください』

『眼圧を測ります』

『眼底(眼の奥)を見ます』などなど。

日本語バージョンはお手の物ですが、A先生には初めての医学用語(日中とも)。

眼圧=目の硬さと言うと、『目は柔らかいのに硬いことがあるのか?』と驚かれ、一般人の感覚を新鮮に感じることも。

院長は目の模型で説明(日本語オンリーでしか無理です)。

今度は先生わくわく『初めて知りましたね』

 

指導は厳しいですが、経歴も生き方も非常にリスペクト出来る先生。

先生の期待に応えるべく頑張って勉強する毎日。

 

ある日のレッスン後、『語学研修に中国行きませんか?』のお誘いが。

私塾の生徒有志と共に、毎年中国へ研修旅行に行っていたそう。

今回は、新型コロナ以降初の催行。

通常のクリニックのお盆休みを越えてる…

『仕事があるから無理です』

と断ったものの…(前回に理由は明記 2024.8.6   YaYa(あの夏の日を忘れない))、

チャンスは今!ということで、研修旅行に参加することに。

 

当日空港に集合してびっくり。

院長最年少です。

残り8人は前期高齢者の面々。

しかし、中国語学習歴は10年以上に及び、仕事で中国に行った・大学で中国語を専攻した…など強者ぞろい。

院長最年少にして、中国語力も最低です。

 

参加者の多くは顔見知りで『ガオダオ』とか『シャンティアン』とか呼び合っています。

何?ニックネーム?

『長谷川さんはチャングゥチュアンだね』

みなさん、お互い中国語読みで呼び合っていたのでした。

高島・山田…なるほど。

 

今回の行き先は、敦煌・トルファン・ウルムチ。

過去最遠、みんなのリクエストで企画。

いきなりのシルクロード!

 

中国ビザは非常に厳しく、ほぼ丸裸にされた気分。

上海から入国です。

指紋押取(初めて!)必要で、入国検査も厳しく、生徒(日本人)のスーツケースは既に出揃っていました。

やれやれ。

さらにバスで約1時間移動し、国内線空港から敦煌に到着したのは深夜。

 

翌朝のホテルの朝食。

早速色々試してみます。

教科書で習った各地の朝食を思い出し…

豆乳に揚げパン(北方)

ワンタン(南方)

お粥・焼売・蒸餃子など(広州)

他にも多種多彩のお料理が。

 

表記と料理の内容とを比べながら、『へ~』の連発。

 

『チャングゥチュアン、集合時間だよ』

以後、先輩方に引っ張られ、助けられの旅が始まります。

 

 

 

 

 

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2024.8.6   YaYa(あの夏の日を忘れない)

『子供が生まれてから毎日大変なんです』某メーカー営業さん(男性)。

『何か月?』

『4か月です』

『そうね~…』と言ったものの、院長は次男生後4ヵ月半の時点で開業です。

 

やれるか?というよりやるしかない!の選択肢のみ。

次男だけでなく長男も2歳になる前。

以来、自身の医師として、母としてのどちらも中途半端に悩まされながらも、目の前のことだけをこつこつやってきたつもりです。

 

お陰様で8月1日に開院27周年を迎えました。

当日、レモンイエローのワンピースを着て(今なら赤を選択しますが)、二人の子供と近くの神社にお参りしたことが思い出されます。

 

終活?で当時の日記(今は付けていない)を見つけました。

当日の日記には、開院状況の他、最後に『A(長男)ちゃん、B(次男)ちゃんごめん』の文字が。

実際、開業以来、仕事がメインになり、子供の行事も診療日と重なれば行くことはありませんでした。

 

まだ医学部女子が少ない頃に医師になったからには、『だから女医は…』と言われたくない一心。

小さなプライドです。

まだ実力不十分若輩眼科医の診療を慕って下さる患者さんへの思いもありました。

三男出産前日まで通常に診療し、出産後1週間で通常診療に戻ったのもそのためです。

勤務医時代は、産休は法律で付与されていましたが、開業(自営)となると別。

気力体力で乗り越えられた心身の丈夫さに感謝です。

 

息子たちにステレオタイプの母親(院長が憧れていた)らしくしてやれなかったことは、ずっと心に引っ掛かっていました。

もう成人になった酒席で、そのことを問い申し訳なく思う心情を吐露。

しかし、息子たちは

『全然。行事には来なくても、学校健診に(学校医として)来てくれたことの方が嬉しかった』

『仕事している母親が普通だと思っていたから』

母(院長)拍子抜け。

それらの言葉に、酔いが回ったのは言うまでもありません。

 

社会人になった息子たちと、世の中や仕事などの話題でお酒が飲めるのは有り難いことです(必ず飲み過ぎます)。

 

あの夏の日を忘れることは出来ません。

子どもたちの誕生日の次に、大切な日です。

初心を忘れずに。

まだまだ攻め(前進)て行くつもりです。

直近では、新しい視野計を導入することにしました。

両眼開放下で、実は片眼ずつ検査が出来ると言う画期的な視野計です。

 

8月1日はスタッフでお祝いの会を催しました。

ホテルの個室で非日常を味わって、モチベーションアップに繋がりますように。

オンオフは大切。

みんな、それぞれのプライべートもお悩みも…ここだけの話。

それがこうクリニックの流儀、準家族のようなひと昔前の繋がりです。

スタッフからは、素敵な似顔絵をもらいました。

『かなりきれいに描いてあるね~』息子評。

 

息子たち全員が社会人になり、母親業も卒業となりました。

今までだって好きなことをやってきた方ですが、時間だけはどうにもならず断念することも。

そういうわけで、今年はお盆休みをいつもより長~くすることにしました。

子供の出産のときにも休まなかったのに、今更?

自問自答して悩むことしばし。

『よくがんばりました』

『その時頑張った貯金と思って、お休みいいんじゃない?』

息子たちだけでなく、スタッフからの、患者さんからの言葉でもあります。

みんなに支えられています。

感謝。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

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2024.7.30 目の神様in 鎌倉

鎌倉はお気に入りの場所のひとつ。

コロナで久しく遠のいていました。

 

時間の出来たある日、そろそろ…いま鎌倉?

いざ鎌倉!

 

新横浜から在来線に乗り換え。

北鎌倉駅を通過すると、毎度♪縁切寺♪のメロディーと‘ビブリオ古書堂の事件手帖‘の物語がよみがえります

今回は時間がないので北鎌倉はパス。

 

今回のミッションは、『目の神様in 鎌倉』詣で。

鎌倉には本覚寺という目の神様(お寺)があります。

このお寺でお守りをいただいた(待合室にあります)のが、院長の目の神様巡りの始まりです。

今回は、別の目の神様に向かいます。

 

長谷駅近くの御霊神社です。

観光客で賑わう通りを中に入って数分。

江ノ電線路沿いにあります。

踏切の前に立っていると、江ノ電が通過します。

江ノ電と踏切向こうの神社が一緒に写る一枚を撮ることが出来ます。

江ノ電好き&目の神様好きのダブルを叶える写真を撮ることが出来ました(ミーハーです)。

 

後三年の役で活躍した鎌倉権五郎景正公が、初陣で右目を矢で射抜かれるという、致命的な傷を負ったにもかかわらず、相手をい倒して戦を勝利に導きました。

景正を祀る御領神社は、眼病平癒の神様としてご利益があるとされています。

 

目を矢で射抜かれる…かなりのスピードで偶然にも目を射抜いたとなれば、かなりの眼球破裂?

細い短い釘だと、眼球破裂せずに眼球に刺さったままのこともあります(釘が刺さった患者さんの診察歴有)。

想像する弓の太さとスピードだと、眼球破裂どころか脳内に刺さった可能性大です。

致命的な傷に間違いありません。

失明に至ったに違いありません。

それでも戦を続行して勝利に導いた武将。

眼科医の想像をはるかに超えています。

 

そんなことをあれこれ考えていてはご利益をいただけません。

きちんとお参り。

いつもながら患者さんの眼病平癒と、院長の眼科医としての向上を祈願。

お守りもいただきました。

 

大仏様も相変わらずの優しいお顔。

江ノ電からの海も毎度テンションが上がります。

行きたいところは色々ですが、毎回時間の都合でスポットを絞ります。

 

何回も行く場所もあれば、御霊神社のように初めての場所も。

 

三男が小学生の時に一緒に行った長谷寺の近くのアイスクリーム屋さん。

受取った直後にポトリと落とし半べその息子に、もう一度アイスを作ってくれたお店はもうありません。

でもそこを通るたびに、あの日のことがよみがえります。

鎌倉の中でも長谷が好きなのは、大仏様や長谷寺だけでなく、あの頃の思い出の確認が出来るからかもしれません。

 

家人がクラゲに夢中になり家でも飼育していた頃、一緒に行った江ノ島水族館。

海月よりJelly fishが合うね~と言いながら、色々な種類のクラゲを見たことがよみがえります。

とっくに我が家からクラゲはいなくなりましたが。

 

鶴岡八幡宮で大吉が出るまで引き続けた知人。

一回り上の彼女は、今でも私を導いてくれます。

30年近いお付き合いが出来ている私こそ大吉!?

 

その知人と泊ったホテルを抜け出し、海岸をひとり朝散歩。

向こうからもひとり散歩の年上女性が。

おはようございます!の挨拶から始まり観光について立ち話。

何気なく電話番号(当時はショートメール)交換して以来、季節の便りをやり取り。

 

新しいことを見つけつつ、回想もする鎌倉。

いま鎌倉?そう、いま鎌倉!いざ鎌倉!

脳内の思い出箱『鎌倉』にまたひとつ思い出追加、上書き保存です。

■目の神様シリーズはこちらからご覧ください

目の神様 in平泉

目の神様 in 仙台

やりなおしたい?

初めての御朱印

身代わりどじょう

目の霊山

余呉へGO,GO

鎌倉好き

医者も祈願する!?

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2024.7.23  プラスのメッセージ

とにかく暑い毎日。

いつもはワンピースの院長も、今回の産業医訪問はパンツとかりゆし(アロハではない)。

最近のお気に入りです。

ポロシャツは、腕周りが太くなった(筋肉ですよ!)せいか、跡が付くようになったので敬遠気味。

沖縄で見つけたのがかりゆし。

沖縄の正装とも言われていますが、数年前沖縄の学会に行ったとき、役所の人たちも着ていました。

かりゆし(嘉例吉)は沖縄の方言で『めでたい』という意味です。

着心地はもちろん、何もなくてもおめでたい気持ちになって夏の定番に。

 

事務所に入って、いつもと違うファッションなのに誰も気づいてくれません。

髪型も前回訪問時と随分違うんだけどな~

まあ、オバサン産業医に誰も関心はないだろうし、むしろ店長さんのケガを労わります。

特注の高価なコルセットを付けてエプロン姿。

圧迫骨折の痛みと、コルセットの締め付けの苦しさのせめぎ合いだそうです。

しかし、普通に巡視出来るほどの回復で何よりでした。

 

安全衛生委員会では、ブロッコリー漏水事件?の報告が。

店頭に並べたブロッコリーから水が漏れて床がびちゃびちゃに。

慌てて拭いて転倒事故は免れたというヒヤリハット。

他のスタッフは上記だけで理解できたようですが、産業医(院長)のみが???

氷水で冷やしたブロッコリーからの水滴が、劣化したプラスチックの箱から漏れ床を濡らしたそうです。

原因は、箱でした。

箱の劣化の有無を常に確認しましょう!とコメント。

 

その他、長時間労働にならないために、惣菜売り場にタイミーさんの導入例も。

どんなことがやれるんだろう?唐揚げ揚げるとか?と興味本位で尋ねると…

調理はなし、パック詰めなど単純作業とのこと。

色々教える必要がないことを任せるそうです。

また、労災事故につながりにくい仕事を。

確かに…

被雇用者も、より重要な仕事を任せてもらえない事より、任せてもらわない事の方がいいのかしら?

タイパはいいかもしれないけれど…

オバサン産業医大いに疑問です。

特に若い頃は、タイパ・コスパは度外視。

無駄と思っても遠回りと思っても、目の前のしなければいけない事をすることで、将来の自分が形成されます。

熟成するには仕込みが重要。

 

毎回『お客様の声』を読むのも楽しみな院長。

多くは苦情・要望のメッセージの中で、励ましのメッセージが数枚あります。

『店内に入る時きれいに棚に瓶が並んできれいだなと思いました(原文はひらがな)!』

『先日の高原野菜とても美味しかったです』

『毎日のように○○(スーパー)に来ます。店員さんの対応が最高。仕事のストレス解消に○○に来ます』

『毎日のように来ます。店長さんの挨拶が最高です。良き○○を』

院長も苦情・要望だけでなく、良いと思ったこと・嬉しいと思ったことを素直に伝えられる人になろうと改めて決意。

プラスのメッセージは、相手にメッセージ通りの何乗もの幸福をもたらします。

 

今回も半日遠出した甲斐はありました(遠出と思っていませんが)。

タイパじゃないよ。

 

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2022.6.7 ちむどんどん

産業医シリーズ(一覧)

 

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2024.7.9  何歳でもめでたい

『90歳。何がめでたい』

作家・佐藤愛子さんのエッセイ。

本書が出たのは2016年。

自分用だけでなく、参考になるかも…とおこがましくも、80代目前の母と、母の友人Nさん(母と同年齢)に贈りました。

母がどう思ったかは不明ですが、Nさんは感想を知らせてくれました。

Nさんは鬼籍に入りましたが、時代の先端を行く生き方や私との交流(私の年上の友人でもあった)を今でも思い出します。

 

そして、その本が映画化されました。

主役の草笛光子さんは憧れの人。

年齢を重ねて益々素敵になられる姿をメディアや雑誌で見ては、将来目指したいと思う女性のひとり。

90歳の草笛さんが、90歳等身大の役を演じられます。

日々の生活にアンテナを張り、感じたことを文章に。

そのエッセイを基に映像化されています。

自身の老化による体の変化を嘆きつつも、時代の進歩や日々の変化に大きく反応。

若い人に対し、怒りも含めてはっきりした物言いも、実は期待と鼓舞が含まれているのを感じます。

 

良い人でいるのはつまらない。

日々の小さな事に怒ったり笑ったり。

世の中に反応することが生きる力。

 

大いに笑い、スカッとし、頷くこと多しの映画でした。

 

Aさんが久しぶりに来院されました。

白内障の定期検査。

御年90歳。

 

『お変わりないですか?』

『息子(と言っても院長より年上)と北海道に行ってきたんですが、その時…』

いつもは『変わりございません』のAさんですが。

『どうされました?』

『北海道で車に乗っているとき、息子が指さすものを見ようとしたのですが、その時にはもう見えなかったんです…何回もそんなことがあって…』

視力も良好、白内障も年齢の割に軽く、他に病気はありません。

『動体視力といって、物を追う力が弱くなっただけです。車のスピードに目が追い付いて行かなかったのでしょう。加齢とともに、若い人(と言っても息子も高齢者?)より動体視力は劣ってきますから。病気ではないので心配いらないですよ』

『あら、そうでしたの。安心しました。』

Aさんは、袋から北海道のお土産を取り出し、

『お陰様で90歳のお祝いに北海道に行けました。お福分けです』

『おめでとうございます!』

『ありがとうございます』

有り難く頂戴。

Aさんも院長にとって目指すべき人生モデルの一人。

『私もAさんのような年齢の重ね方をお手本にしていますから、お元気でいてください』

『励みになるお言葉、ありがとうございます』

その後、スタッフと福を分け合いました。

 

院長にとって、人生のモデルは多々。

実在で年上の知人たち。

鬼籍に入ってしまった年上の知人たち。

実在で同業の女医さんたち。

医学界の高名な先輩たち。

演劇、美容、芸術など、会ったことも話したこともないけれど勝手に自分のモデル(前述の草笛光子さんなど)と認定している人たち。

そしてAさんのみならず、多くの患者さんたち。

みんなそれぞれ人生のエピソード・モットーがあります。

先達たちのそれぞれ100分の1でも真似できたらいいな、近づけたらいいなと、来る老後の目標にしています。

 

人にいいことが起これば『おめでとう』

自分にいいことが起これば『ありがとう』

祝福と感謝の言の葉から生まれるエネルギーは絶対なるパワーを持つ。

某新聞にあったエッセーから。

 

院長も何歳になってもめでたいし、ありがとう!と言いたいです。

 

*7月16日の公センセの部屋はお休みです。

 

 

 

 

 

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2024.7.2  虫が飛んでる?

『虫みたいなものが見えるけど、手で払っても消えないんです』

『空を見たら、糸くずみたいなものが動くのが見えるんです』

『白い壁に、点々が見えるんです』

このような訴えで来院される患者さんはかなり多いです。

『何か病気ではないか?』

『網膜剥離では?』

などと心配されて来院されます。

視力や眼圧と言った一通りの検査や問診の後、両眼の瞳を開いて、目の奥を観察します(散瞳検査)。

 

瞳が開いたら、患者さんに上下左右8方向を見てもらい、院長もダイナミックに動き周辺まで観察します。

これで、病気か否かが分かります。

 

飛蚊症による病気は

1.網膜裂孔・網膜剥離

網膜(眼の奥)に穴が開いたり、そこから網膜が剥がれている状態です。

程度に応じてレーザー治療や手術を勧めます。

2.硝子体出血

眼球の中身は、硝子体というゼリーのようなもので満たされています。

糖尿病や高血圧・外傷などで眼底に出血が起こり、その血液が硝子体にも流れることで起こります。

少量の場合は自然治癒もありますが、原因を調べ手術になることもあります。

3.ぶどう膜炎

ぶどう膜(虹彩・毛様体・脈絡膜)に炎症が起こり、血管から硝子体に、炎症が及ぶことがあります。

入院になることが多く、炎症を抑えるために、内服や点眼薬で治療します。

 

病気でないと判断すれば、患者さんに『安心してください。心配ないです。気にしないでくださいね』とまず一言。

それから、虫みたいなものが見える(飛蚊症 ひぶんしょう)原因をお話しします。

 

光が目の奥に入っていくと、網膜で光やモノを感じます。

硝子体は透明なゼリーのような物質ですが、何らかの原因で濁りが生じると、その濁りの影が網膜に写り、目の動きとともに浮遊物のように見えます。

これが飛蚊症です。

 

原因としては、生来と加齢によるものがあります。

胎児のときの硝子体の血管の名残が、生後も残存していると飛蚊症として感じることがあります。

(一般には、眼球完成時に胎児のときの硝子体血管は消失する)

これは、健康な目でも起こる飛蚊症なので気にする必要はありません。

 

多いのは加齢によるものです。

加齢により、硝子体はゼリー状から液状に変化し収縮して網膜から剥がれます(硝子体剝離)。

また、強度近視の場合は、硝子体剥離が早期に起こり易く、若くても飛蚊症を自覚することが多くなります。

 

きちんと検査をして、異常がなければ不安になる必要はありません。

急に、いつもと違うたくさんの数の浮遊物が見えたり、視力が低下したり、見えない部分が出た場合は、すぐに検査を受けてください。

 

最近は、飛蚊症に対してのレーザー治療を行う施設もあります。

硝子体の濁りをレーザーで紛糾します。

ただし、自費診療です。

気になって仕方がないと言う人は、試してみてもいいかもしれません。

 

院長も強度近視で、時々、ミジンコみたいな浮遊物が見えます。

生理的な(病気ではない)飛蚊症だから、慣れるしかありません。

『おっ!ミジンコが出てきた、出てきた』

積極的治療(自費)を受ける気はありません。

加齢と上手くつきあう覚悟の院長です。

 

 

 

 

カテゴリー:眼に関すること

2024.6.25  ツバメもお疲れ?

低空飛行でツバメが飛んできた…

すぐにラベンダーの細い枝に掴まって静止。

じっと動きません。

1メートルほど近づいていくと、目を閉じています。

こんな近くで見られるのは珍しい。

部屋からスマホを持って戻ってみるとまだ目をつむっています。

50センチ近づいても変化がないので写真をパチリ。

さらに30センチまで近づいてもピクリともしません。

風で枝が揺られても気持ちよさそうに目を閉じて、揺れに体を任せています。

観察するところ、まだ尾羽が短く、側面にも産毛のようなものが残っています。

飛び始めたばかりの子ツバメのようです。

ちっとも目を覚まさないので、こちらもその寝顔をじっと見ていること10分余り。

変化ないので場を離れます。

そうはいっても5分ごとに見に行く始末。

30分を過ぎた後、いなくなっていました。

疲労回復したのでしょう。

掴まった枝で眠ってしまう程、社会生活は子ツバメにとって相当のストレスのよう。

 

我が家には、20年以上毎年ツバメが飛来。

この季節、ツバメのためのお掃除オバサンに徹する院長です。

3つの巣が、全部埋まる年もあれば、カラスなどに襲撃され破壊される時も。

巣の下に卵の殻を見つけると、それからは、掃除の量が一気に増えます。

親ツバメが戻ってくると、一斉に口を開き、餌をもらいます。

食欲旺盛ということは排出物も多いということ。

本能的なのか、お尻を巣の外に向けて糞をします。

その量、恐るべし。

時に、赤ちゃんが落ちてしまうこともあり、多くは助かりません。

昨年のように息子が育てて成鳥になれることもありますが。

 

ツバメは福を運んで来ると言うし、子育ても終了した院長としては、毎年のお掃除オバサンも(ツバメ)子育て協力の一環と思える余裕も出てきました。

 

口をパクパクしている雛を見上げながら、小さい頃の息子たちに重ねる母。

ラベンダーの小枝ですやすや眠る子ツバメを見ながら、新米社会人の息子たちに重ねる母。

 

先日コロナ以来の旧友に会いました。

彼女とは、大学受験の塾で知り合った仲。

田舎なので、文系理系難関大学と医学部は混合クラスでした。

彼女は文系大学を出て、専門職。

約5年ぶりに会ったKちゃん。

『非常勤にして仕事半分に減らしたの』

『どうして?』

『駄菓子屋さん始めた。前からやりたかったから』

彼女の話を聞くと、また違う世界を知ってわくわく。

売り上げ心配しますが…

『まずは駄菓子屋さん。これが最終ステージじゃないけどね』

カッコイイ!

 

お互い子供も社会人になり、まだまだ自分の目標に向かって行動できることを再確認。

 

ツバメの成長を見、息子たちの社会人としての成長(話)を聞き、安堵。

でも、オバサン(母)だってまだまだ成長(ゆっくりだけど)する!

息子たちよ、これからは母の成長を見守ってね~

母の日もスルーだった息子たちへのリクエストです。

 

こちらもご覧ください

2017.5.23 母の日に

2015.5.12 母の日ツン

2012.5.15  母の日に愛をもらう

 

カテゴリー:公センセの家族・恩師・友人など 公センセの日常の出来事
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