2024.8.27   大家好(こんにちは)! 

台湾から帰国後、早速中国語の先生を探し始めた院長。

2023.6.20  何しに台湾 その1    2023.6.27  何しに台湾 その2

日本在住25年の中国人A講師に巡り合いました。

A先生は大学で教鞭を取りながら、私塾も運営されています。

 

個人レッスンを快諾。

中国語学習が始まりました。

院長の教材は、第2外国語選択の大学生たちと同じテキスト。

教科書を読み、理解し、問題に答えるが基本。

テキストは毎日音読(老化予防になる)し、課題も先生に確認してもらいます。

この発音は良い、これはいけない…と指摘され、『再度再度…』の繰り返し。

なんで私、中国語始めちゃった?と自問することも。

 

それでも、『大学生より頑張っています』と褒められ、『毎日中国語』の日々。

自分の教養時代を省みても、授業は単位を取るだけのものだった(今、非常に反省)から、その頃よりは相当真面目です。

ただ加齢ゆえ、記憶力の顕著な低下を実感。

丸暗記が出来なくなっています(意味づけがないと覚えられない)。

毎日何ページもの英単語のテストをクリアできた高校生の頃の自分が羨ましい…

 

最近は、診察での言葉かけを中国語でも出来るように…と、原稿?を院長が作り、先生が中国語版にし、付いて読む練習も。

『ここに顎を載せてください』

『眼圧を測ります』

『眼底(眼の奥)を見ます』などなど。

日本語バージョンはお手の物ですが、A先生には初めての医学用語(日中とも)。

眼圧=目の硬さと言うと、『目は柔らかいのに硬いことがあるのか?』と驚かれ、一般人の感覚を新鮮に感じることも。

院長は目の模型で説明(日本語オンリーでしか無理です)。

今度は先生わくわく『初めて知りましたね』

 

指導は厳しいですが、経歴も生き方も非常にリスペクト出来る先生。

先生の期待に応えるべく頑張って勉強する毎日。

 

ある日のレッスン後、『語学研修に中国行きませんか?』のお誘いが。

私塾の生徒有志と共に、毎年中国へ研修旅行に行っていたそう。

今回は、新型コロナ以降初の催行。

通常のクリニックのお盆休みを越えてる…

『仕事があるから無理です』

と断ったものの…(前回に理由は明記 2024.8.6   YaYa(あの夏の日を忘れない))、

チャンスは今!ということで、研修旅行に参加することに。

 

当日空港に集合してびっくり。

院長最年少です。

残り8人は前期高齢者の面々。

しかし、中国語学習歴は10年以上に及び、仕事で中国に行った・大学で中国語を専攻した…など強者ぞろい。

院長最年少にして、中国語力も最低です。

 

参加者の多くは顔見知りで『ガオダオ』とか『シャンティアン』とか呼び合っています。

何?ニックネーム?

『長谷川さんはチャングゥチュアンだね』

みなさん、お互い中国語読みで呼び合っていたのでした。

高島・山田…なるほど。

 

今回の行き先は、敦煌・トルファン・ウルムチ。

過去最遠、みんなのリクエストで企画。

いきなりのシルクロード!

 

中国ビザは非常に厳しく、ほぼ丸裸にされた気分。

上海から入国です。

指紋押取(初めて!)必要で、入国検査も厳しく、生徒(日本人)のスーツケースは既に出揃っていました。

やれやれ。

さらにバスで約1時間移動し、国内線空港から敦煌に到着したのは深夜。

 

翌朝のホテルの朝食。

早速色々試してみます。

教科書で習った各地の朝食を思い出し…

豆乳に揚げパン(北方)

ワンタン(南方)

お粥・焼売・蒸餃子など(広州)

他にも多種多彩のお料理が。

 

表記と料理の内容とを比べながら、『へ~』の連発。

 

『チャングゥチュアン、集合時間だよ』

以後、先輩方に引っ張られ、助けられの旅が始まります。

 

 

 

 

 

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2024.8.6   YaYa(あの夏の日を忘れない)

『子供が生まれてから毎日大変なんです』某メーカー営業さん(男性)。

『何か月?』

『4か月です』

『そうね~…』と言ったものの、院長は次男生後4ヵ月半の時点で開業です。

 

やれるか?というよりやるしかない!の選択肢のみ。

次男だけでなく長男も2歳になる前。

以来、自身の医師として、母としてのどちらも中途半端に悩まされながらも、目の前のことだけをこつこつやってきたつもりです。

 

お陰様で8月1日に開院27周年を迎えました。

当日、レモンイエローのワンピースを着て(今なら赤を選択しますが)、二人の子供と近くの神社にお参りしたことが思い出されます。

 

終活?で当時の日記(今は付けていない)を見つけました。

当日の日記には、開院状況の他、最後に『A(長男)ちゃん、B(次男)ちゃんごめん』の文字が。

実際、開業以来、仕事がメインになり、子供の行事も診療日と重なれば行くことはありませんでした。

 

まだ医学部女子が少ない頃に医師になったからには、『だから女医は…』と言われたくない一心。

小さなプライドです。

まだ実力不十分若輩眼科医の診療を慕って下さる患者さんへの思いもありました。

三男出産前日まで通常に診療し、出産後1週間で通常診療に戻ったのもそのためです。

勤務医時代は、産休は法律で付与されていましたが、開業(自営)となると別。

気力体力で乗り越えられた心身の丈夫さに感謝です。

 

息子たちにステレオタイプの母親(院長が憧れていた)らしくしてやれなかったことは、ずっと心に引っ掛かっていました。

もう成人になった酒席で、そのことを問い申し訳なく思う心情を吐露。

しかし、息子たちは

『全然。行事には来なくても、学校健診に(学校医として)来てくれたことの方が嬉しかった』

『仕事している母親が普通だと思っていたから』

母(院長)拍子抜け。

それらの言葉に、酔いが回ったのは言うまでもありません。

 

社会人になった息子たちと、世の中や仕事などの話題でお酒が飲めるのは有り難いことです(必ず飲み過ぎます)。

 

あの夏の日を忘れることは出来ません。

子どもたちの誕生日の次に、大切な日です。

初心を忘れずに。

まだまだ攻め(前進)て行くつもりです。

直近では、新しい視野計を導入することにしました。

両眼開放下で、実は片眼ずつ検査が出来ると言う画期的な視野計です。

 

8月1日はスタッフでお祝いの会を催しました。

ホテルの個室で非日常を味わって、モチベーションアップに繋がりますように。

オンオフは大切。

みんな、それぞれのプライべートもお悩みも…ここだけの話。

それがこうクリニックの流儀、準家族のようなひと昔前の繋がりです。

スタッフからは、素敵な似顔絵をもらいました。

『かなりきれいに描いてあるね~』息子評。

 

息子たち全員が社会人になり、母親業も卒業となりました。

今までだって好きなことをやってきた方ですが、時間だけはどうにもならず断念することも。

そういうわけで、今年はお盆休みをいつもより長~くすることにしました。

子供の出産のときにも休まなかったのに、今更?

自問自答して悩むことしばし。

『よくがんばりました』

『その時頑張った貯金と思って、お休みいいんじゃない?』

息子たちだけでなく、スタッフからの、患者さんからの言葉でもあります。

みんなに支えられています。

感謝。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

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2024.7.30 目の神様in 鎌倉

鎌倉はお気に入りの場所のひとつ。

コロナで久しく遠のいていました。

 

時間の出来たある日、そろそろ…いま鎌倉?

いざ鎌倉!

 

新横浜から在来線に乗り換え。

北鎌倉駅を通過すると、毎度♪縁切寺♪のメロディーと‘ビブリオ古書堂の事件手帖‘の物語がよみがえります

今回は時間がないので北鎌倉はパス。

 

今回のミッションは、『目の神様in 鎌倉』詣で。

鎌倉には本覚寺という目の神様(お寺)があります。

このお寺でお守りをいただいた(待合室にあります)のが、院長の目の神様巡りの始まりです。

今回は、別の目の神様に向かいます。

 

長谷駅近くの御霊神社です。

観光客で賑わう通りを中に入って数分。

江ノ電線路沿いにあります。

踏切の前に立っていると、江ノ電が通過します。

江ノ電と踏切向こうの神社が一緒に写る一枚を撮ることが出来ます。

江ノ電好き&目の神様好きのダブルを叶える写真を撮ることが出来ました(ミーハーです)。

 

後三年の役で活躍した鎌倉権五郎景正公が、初陣で右目を矢で射抜かれるという、致命的な傷を負ったにもかかわらず、相手をい倒して戦を勝利に導きました。

景正を祀る御領神社は、眼病平癒の神様としてご利益があるとされています。

 

目を矢で射抜かれる…かなりのスピードで偶然にも目を射抜いたとなれば、かなりの眼球破裂?

細い短い釘だと、眼球破裂せずに眼球に刺さったままのこともあります(釘が刺さった患者さんの診察歴有)。

想像する弓の太さとスピードだと、眼球破裂どころか脳内に刺さった可能性大です。

致命的な傷に間違いありません。

失明に至ったに違いありません。

それでも戦を続行して勝利に導いた武将。

眼科医の想像をはるかに超えています。

 

そんなことをあれこれ考えていてはご利益をいただけません。

きちんとお参り。

いつもながら患者さんの眼病平癒と、院長の眼科医としての向上を祈願。

お守りもいただきました。

 

大仏様も相変わらずの優しいお顔。

江ノ電からの海も毎度テンションが上がります。

行きたいところは色々ですが、毎回時間の都合でスポットを絞ります。

 

何回も行く場所もあれば、御霊神社のように初めての場所も。

 

三男が小学生の時に一緒に行った長谷寺の近くのアイスクリーム屋さん。

受取った直後にポトリと落とし半べその息子に、もう一度アイスを作ってくれたお店はもうありません。

でもそこを通るたびに、あの日のことがよみがえります。

鎌倉の中でも長谷が好きなのは、大仏様や長谷寺だけでなく、あの頃の思い出の確認が出来るからかもしれません。

 

家人がクラゲに夢中になり家でも飼育していた頃、一緒に行った江ノ島水族館。

海月よりJelly fishが合うね~と言いながら、色々な種類のクラゲを見たことがよみがえります。

とっくに我が家からクラゲはいなくなりましたが。

 

鶴岡八幡宮で大吉が出るまで引き続けた知人。

一回り上の彼女は、今でも私を導いてくれます。

30年近いお付き合いが出来ている私こそ大吉!?

 

その知人と泊ったホテルを抜け出し、海岸をひとり朝散歩。

向こうからもひとり散歩の年上女性が。

おはようございます!の挨拶から始まり観光について立ち話。

何気なく電話番号(当時はショートメール)交換して以来、季節の便りをやり取り。

 

新しいことを見つけつつ、回想もする鎌倉。

いま鎌倉?そう、いま鎌倉!いざ鎌倉!

脳内の思い出箱『鎌倉』にまたひとつ思い出追加、上書き保存です。

■目の神様シリーズはこちらからご覧ください

目の神様 in平泉

目の神様 in 仙台

やりなおしたい?

初めての御朱印

身代わりどじょう

目の霊山

余呉へGO,GO

鎌倉好き

医者も祈願する!?

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2024.7.23  プラスのメッセージ

とにかく暑い毎日。

いつもはワンピースの院長も、今回の産業医訪問はパンツとかりゆし(アロハではない)。

最近のお気に入りです。

ポロシャツは、腕周りが太くなった(筋肉ですよ!)せいか、跡が付くようになったので敬遠気味。

沖縄で見つけたのがかりゆし。

沖縄の正装とも言われていますが、数年前沖縄の学会に行ったとき、役所の人たちも着ていました。

かりゆし(嘉例吉)は沖縄の方言で『めでたい』という意味です。

着心地はもちろん、何もなくてもおめでたい気持ちになって夏の定番に。

 

事務所に入って、いつもと違うファッションなのに誰も気づいてくれません。

髪型も前回訪問時と随分違うんだけどな~

まあ、オバサン産業医に誰も関心はないだろうし、むしろ店長さんのケガを労わります。

特注の高価なコルセットを付けてエプロン姿。

圧迫骨折の痛みと、コルセットの締め付けの苦しさのせめぎ合いだそうです。

しかし、普通に巡視出来るほどの回復で何よりでした。

 

安全衛生委員会では、ブロッコリー漏水事件?の報告が。

店頭に並べたブロッコリーから水が漏れて床がびちゃびちゃに。

慌てて拭いて転倒事故は免れたというヒヤリハット。

他のスタッフは上記だけで理解できたようですが、産業医(院長)のみが???

氷水で冷やしたブロッコリーからの水滴が、劣化したプラスチックの箱から漏れ床を濡らしたそうです。

原因は、箱でした。

箱の劣化の有無を常に確認しましょう!とコメント。

 

その他、長時間労働にならないために、惣菜売り場にタイミーさんの導入例も。

どんなことがやれるんだろう?唐揚げ揚げるとか?と興味本位で尋ねると…

調理はなし、パック詰めなど単純作業とのこと。

色々教える必要がないことを任せるそうです。

また、労災事故につながりにくい仕事を。

確かに…

被雇用者も、より重要な仕事を任せてもらえない事より、任せてもらわない事の方がいいのかしら?

タイパはいいかもしれないけれど…

オバサン産業医大いに疑問です。

特に若い頃は、タイパ・コスパは度外視。

無駄と思っても遠回りと思っても、目の前のしなければいけない事をすることで、将来の自分が形成されます。

熟成するには仕込みが重要。

 

毎回『お客様の声』を読むのも楽しみな院長。

多くは苦情・要望のメッセージの中で、励ましのメッセージが数枚あります。

『店内に入る時きれいに棚に瓶が並んできれいだなと思いました(原文はひらがな)!』

『先日の高原野菜とても美味しかったです』

『毎日のように○○(スーパー)に来ます。店員さんの対応が最高。仕事のストレス解消に○○に来ます』

『毎日のように来ます。店長さんの挨拶が最高です。良き○○を』

院長も苦情・要望だけでなく、良いと思ったこと・嬉しいと思ったことを素直に伝えられる人になろうと改めて決意。

プラスのメッセージは、相手にメッセージ通りの何乗もの幸福をもたらします。

 

今回も半日遠出した甲斐はありました(遠出と思っていませんが)。

タイパじゃないよ。

 

こちらもご覧ください

2022.6.7 ちむどんどん

産業医シリーズ(一覧)

 

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2024.7.9  何歳でもめでたい

『90歳。何がめでたい』

作家・佐藤愛子さんのエッセイ。

本書が出たのは2016年。

自分用だけでなく、参考になるかも…とおこがましくも、80代目前の母と、母の友人Nさん(母と同年齢)に贈りました。

母がどう思ったかは不明ですが、Nさんは感想を知らせてくれました。

Nさんは鬼籍に入りましたが、時代の先端を行く生き方や私との交流(私の年上の友人でもあった)を今でも思い出します。

 

そして、その本が映画化されました。

主役の草笛光子さんは憧れの人。

年齢を重ねて益々素敵になられる姿をメディアや雑誌で見ては、将来目指したいと思う女性のひとり。

90歳の草笛さんが、90歳等身大の役を演じられます。

日々の生活にアンテナを張り、感じたことを文章に。

そのエッセイを基に映像化されています。

自身の老化による体の変化を嘆きつつも、時代の進歩や日々の変化に大きく反応。

若い人に対し、怒りも含めてはっきりした物言いも、実は期待と鼓舞が含まれているのを感じます。

 

良い人でいるのはつまらない。

日々の小さな事に怒ったり笑ったり。

世の中に反応することが生きる力。

 

大いに笑い、スカッとし、頷くこと多しの映画でした。

 

Aさんが久しぶりに来院されました。

白内障の定期検査。

御年90歳。

 

『お変わりないですか?』

『息子(と言っても院長より年上)と北海道に行ってきたんですが、その時…』

いつもは『変わりございません』のAさんですが。

『どうされました?』

『北海道で車に乗っているとき、息子が指さすものを見ようとしたのですが、その時にはもう見えなかったんです…何回もそんなことがあって…』

視力も良好、白内障も年齢の割に軽く、他に病気はありません。

『動体視力といって、物を追う力が弱くなっただけです。車のスピードに目が追い付いて行かなかったのでしょう。加齢とともに、若い人(と言っても息子も高齢者?)より動体視力は劣ってきますから。病気ではないので心配いらないですよ』

『あら、そうでしたの。安心しました。』

Aさんは、袋から北海道のお土産を取り出し、

『お陰様で90歳のお祝いに北海道に行けました。お福分けです』

『おめでとうございます!』

『ありがとうございます』

有り難く頂戴。

Aさんも院長にとって目指すべき人生モデルの一人。

『私もAさんのような年齢の重ね方をお手本にしていますから、お元気でいてください』

『励みになるお言葉、ありがとうございます』

その後、スタッフと福を分け合いました。

 

院長にとって、人生のモデルは多々。

実在で年上の知人たち。

鬼籍に入ってしまった年上の知人たち。

実在で同業の女医さんたち。

医学界の高名な先輩たち。

演劇、美容、芸術など、会ったことも話したこともないけれど勝手に自分のモデル(前述の草笛光子さんなど)と認定している人たち。

そしてAさんのみならず、多くの患者さんたち。

みんなそれぞれ人生のエピソード・モットーがあります。

先達たちのそれぞれ100分の1でも真似できたらいいな、近づけたらいいなと、来る老後の目標にしています。

 

人にいいことが起これば『おめでとう』

自分にいいことが起これば『ありがとう』

祝福と感謝の言の葉から生まれるエネルギーは絶対なるパワーを持つ。

某新聞にあったエッセーから。

 

院長も何歳になってもめでたいし、ありがとう!と言いたいです。

 

*7月16日の公センセの部屋はお休みです。

 

 

 

 

 

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2024.7.2  虫が飛んでる?

『虫みたいなものが見えるけど、手で払っても消えないんです』

『空を見たら、糸くずみたいなものが動くのが見えるんです』

『白い壁に、点々が見えるんです』

このような訴えで来院される患者さんはかなり多いです。

『何か病気ではないか?』

『網膜剥離では?』

などと心配されて来院されます。

視力や眼圧と言った一通りの検査や問診の後、両眼の瞳を開いて、目の奥を観察します(散瞳検査)。

 

瞳が開いたら、患者さんに上下左右8方向を見てもらい、院長もダイナミックに動き周辺まで観察します。

これで、病気か否かが分かります。

 

飛蚊症による病気は

1.網膜裂孔・網膜剥離

網膜(眼の奥)に穴が開いたり、そこから網膜が剥がれている状態です。

程度に応じてレーザー治療や手術を勧めます。

2.硝子体出血

眼球の中身は、硝子体というゼリーのようなもので満たされています。

糖尿病や高血圧・外傷などで眼底に出血が起こり、その血液が硝子体にも流れることで起こります。

少量の場合は自然治癒もありますが、原因を調べ手術になることもあります。

3.ぶどう膜炎

ぶどう膜(虹彩・毛様体・脈絡膜)に炎症が起こり、血管から硝子体に、炎症が及ぶことがあります。

入院になることが多く、炎症を抑えるために、内服や点眼薬で治療します。

 

病気でないと判断すれば、患者さんに『安心してください。心配ないです。気にしないでくださいね』とまず一言。

それから、虫みたいなものが見える(飛蚊症 ひぶんしょう)原因をお話しします。

 

光が目の奥に入っていくと、網膜で光やモノを感じます。

硝子体は透明なゼリーのような物質ですが、何らかの原因で濁りが生じると、その濁りの影が網膜に写り、目の動きとともに浮遊物のように見えます。

これが飛蚊症です。

 

原因としては、生来と加齢によるものがあります。

胎児のときの硝子体の血管の名残が、生後も残存していると飛蚊症として感じることがあります。

(一般には、眼球完成時に胎児のときの硝子体血管は消失する)

これは、健康な目でも起こる飛蚊症なので気にする必要はありません。

 

多いのは加齢によるものです。

加齢により、硝子体はゼリー状から液状に変化し収縮して網膜から剥がれます(硝子体剝離)。

また、強度近視の場合は、硝子体剥離が早期に起こり易く、若くても飛蚊症を自覚することが多くなります。

 

きちんと検査をして、異常がなければ不安になる必要はありません。

急に、いつもと違うたくさんの数の浮遊物が見えたり、視力が低下したり、見えない部分が出た場合は、すぐに検査を受けてください。

 

最近は、飛蚊症に対してのレーザー治療を行う施設もあります。

硝子体の濁りをレーザーで紛糾します。

ただし、自費診療です。

気になって仕方がないと言う人は、試してみてもいいかもしれません。

 

院長も強度近視で、時々、ミジンコみたいな浮遊物が見えます。

生理的な(病気ではない)飛蚊症だから、慣れるしかありません。

『おっ!ミジンコが出てきた、出てきた』

積極的治療(自費)を受ける気はありません。

加齢と上手くつきあう覚悟の院長です。

 

 

 

 

カテゴリー:眼に関すること

2024.6.25  ツバメもお疲れ?

低空飛行でツバメが飛んできた…

すぐにラベンダーの細い枝に掴まって静止。

じっと動きません。

1メートルほど近づいていくと、目を閉じています。

こんな近くで見られるのは珍しい。

部屋からスマホを持って戻ってみるとまだ目をつむっています。

50センチ近づいても変化がないので写真をパチリ。

さらに30センチまで近づいてもピクリともしません。

風で枝が揺られても気持ちよさそうに目を閉じて、揺れに体を任せています。

観察するところ、まだ尾羽が短く、側面にも産毛のようなものが残っています。

飛び始めたばかりの子ツバメのようです。

ちっとも目を覚まさないので、こちらもその寝顔をじっと見ていること10分余り。

変化ないので場を離れます。

そうはいっても5分ごとに見に行く始末。

30分を過ぎた後、いなくなっていました。

疲労回復したのでしょう。

掴まった枝で眠ってしまう程、社会生活は子ツバメにとって相当のストレスのよう。

 

我が家には、20年以上毎年ツバメが飛来。

この季節、ツバメのためのお掃除オバサンに徹する院長です。

3つの巣が、全部埋まる年もあれば、カラスなどに襲撃され破壊される時も。

巣の下に卵の殻を見つけると、それからは、掃除の量が一気に増えます。

親ツバメが戻ってくると、一斉に口を開き、餌をもらいます。

食欲旺盛ということは排出物も多いということ。

本能的なのか、お尻を巣の外に向けて糞をします。

その量、恐るべし。

時に、赤ちゃんが落ちてしまうこともあり、多くは助かりません。

昨年のように息子が育てて成鳥になれることもありますが。

 

ツバメは福を運んで来ると言うし、子育ても終了した院長としては、毎年のお掃除オバサンも(ツバメ)子育て協力の一環と思える余裕も出てきました。

 

口をパクパクしている雛を見上げながら、小さい頃の息子たちに重ねる母。

ラベンダーの小枝ですやすや眠る子ツバメを見ながら、新米社会人の息子たちに重ねる母。

 

先日コロナ以来の旧友に会いました。

彼女とは、大学受験の塾で知り合った仲。

田舎なので、文系理系難関大学と医学部は混合クラスでした。

彼女は文系大学を出て、専門職。

約5年ぶりに会ったKちゃん。

『非常勤にして仕事半分に減らしたの』

『どうして?』

『駄菓子屋さん始めた。前からやりたかったから』

彼女の話を聞くと、また違う世界を知ってわくわく。

売り上げ心配しますが…

『まずは駄菓子屋さん。これが最終ステージじゃないけどね』

カッコイイ!

 

お互い子供も社会人になり、まだまだ自分の目標に向かって行動できることを再確認。

 

ツバメの成長を見、息子たちの社会人としての成長(話)を聞き、安堵。

でも、オバサン(母)だってまだまだ成長(ゆっくりだけど)する!

息子たちよ、これからは母の成長を見守ってね~

母の日もスルーだった息子たちへのリクエストです。

 

こちらもご覧ください

2017.5.23 母の日に

2015.5.12 母の日ツン

2012.5.15  母の日に愛をもらう

 

カテゴリー:公センセの家族・恩師・友人など 公センセの日常の出来事

2024.6.18  目薬の温泉

『え~!?』

思わず声を上げたのは、目の温泉・眼病に直接効く温泉を見つけたから。

目の神様を拝むべく、全国を行脚中?の院長ですが、温泉があるとは!

 

鎌倉時代より700年の歴史。

目の温泉として伝わる神秘の源泉。

 

上杉謙信好公の隠れ湯として。

江戸時代からは『目の温泉』として遠路より数多き人々が訪れる地。

 

白内障・眼底出血・ドライアイ・眼精疲労などなどに効能があるそう。

 

上信越高原国立公園に位置する貝掛温泉です。

 

見つけたからには、眼科医としては(?)行くしかない!?

 

新潟県の越後湯沢が最寄り駅です。

といっても、ここからが遠い。

バスは1~2時間に1本しかありません(しかも国道沿いにバス停)。

タクシーでぐんぐん山道を上り、国道を外れると、車一台やっとの道に入り温泉に着きます。

 

いかにも秘湯というたたずまい(日本秘湯を守る会)。

建物も古めかしく、しかし清掃が行き届いています。

 

 

お風呂場に行く長い廊下を歩いて行くと…

著名人の色紙。

ゲゲゲの鬼太郎がお風呂に浸かっているフィギュア。

お薬師様の祭壇。

そして、某老舗眼科病院の3代前院長寄贈の眼球断面図も。

シュレム氏管とかチン氏体とかの表記も。

眼球の構造や機能の詳細は、この30年くらいで大きく進歩し解明されてきました。

が、既に遥か昔(院長生まれていない時代)に、専門用語があったことを知ると、先達たちへの畏敬の念に打たれます。

 

気分が高まったところで?入湯です。

 

『正しい目の洗い方

1.手で湯をすくい、目を大きく開き、湯に浸します

2.少し慣れたところで、まぶたを閉じて開いて繰り返し、約1~2分がおススメ』

 

湯口から温泉が出ています。

そのお湯をすくって目を洗うと効能があるらしいのですが…

 

眼科医の院長、目は洗わず、静かに温泉を楽しみました。

他にも、神経痛・腰痛・冷え性・五十肩・病後回復に効能があるそうなので(院長該当しないが)、精神の安寧には効果がありました。

木々に囲まれた静寂な温泉に浸かって『幸せ~』

 

昔(院長生まれる前)は、抗生物質の点眼がなかったため、眼科医でさえ結膜炎の場合、ホウ酸水で目を洗うしか治療がありませんでした。

無色透明で無臭の貝掛の湯はメタホウ酸を多く含み、目薬の湯そのもの。

50年以上前でさえ、目を洗うことが治療とされていたなら、江戸時代はなお、目の温泉の効能は絶大だったと思われます。

 

湯上りに、売店を覗くと

『目薬はないの?』と別のお客さん。

『以前は売ってたんですけどね~今は取り扱ってないです』

院長も気になっていました。

明治時代には、販売許可を得て目薬を販売していたそうです。

ホウ酸で洗う(もしくは点す)ことが、唯一眼病治療だったことが偲ばれます。

 

現在では、多種の抗生物質点眼を処方することが出来ます。

点眼回数だけ守れば、洗眼しなくても治ります。

 

また、目を水(湯)で洗うことは、涙液層のバランスが崩れるので、良くないということもわかりました。

眼科医も、『プールの後は水道水でよく目を洗いましょう』から『人口涙液を数滴さす方がよい』『洗眼をまめにすることは良くない』などと言うようになりました。

涙の成分もわかってきたので、水ではなく、涙と同成分の人口涙液を勧めています。

 

目の温泉に入りながら、変わらないもの(温質)と変わるもの(眼病治癒)を考えます。

眼科医になってからのわずか30年余でも、眼科学は大いに進歩変化。

でもご利益を求め入湯する気持ちは変わりません。

感謝。

 

こちらもご覧ください

2022.10.25 目の日に目洗い

 

カテゴリー:健康 公センセの日常の出来事 眼に関すること

2024.6.11  運転止める?続ける?

眼科の学会も規模の大きなものから小さいものまで。

森(眼科全体)に対してか、木(病気から・症状から・検査から・治療から…など)に対しての学会か。

今回は視野画像学会。

以前は視野学会だったのですが、眼科の画像機器の進化は著しく、視野画像学会と名称が変わりました。

 

開催地は新潟。

2回目の新潟です。

初めての新潟は、研修医一年目、初めて学会参加でした。

初学会参加に緊張と興奮。

でも、講演内容はほとんど理解出ず。

同期と『よくわからなかったね~』(研修医あるある)

上司I先生(女性)が登壇されたのを『かっこいい~すごい~』と眺めていただけ。

あっと言う間に学会が終わり即帰路に。

何が何だか?学会って異次元?

 

さて2回目の新潟は…

 

今回聞きたかったセッション、座長はI先生。

あの頃30代で登壇されたのですが、今もずっとパワフルでお元気、緑内障や視野の世界では重鎮です。

テーマは『視野と運転』

 

日本視野学会には「交通と視野委員会」があり、運転免許と視野についても調査研究が行われています。

現在、免許更新には規定の「視力」は必要ですが、視力が適すれば視野異常については触れていません。

しかし診察していると、視力が出ていても視野欠損・視野狭窄の患者さんは多くいます。

 

高齢者の運転が問題になっています。

運転は、認知・判断・操作からなります。

認知の中には視野障害も含まれています。

信号が見にくい・夜間見にくい・雨天に見にくいなどは、加齢に伴い自覚が増えますが、それでも高齢者で自覚しているのは4割と報告されています。

視野異常がある場合も同様で、自覚のない人が多いです。

高齢&視野障害ありは要注意です。

 

視線(眼球運動)のばらつきは、視野の広がりと連動しています。

視線のばらつきが小さいと事故を起こしやすく、大きいと事故を起こしにくいとされています。

視線のばらつきが小さいということは、注意力が低下しているということです。

高齢者では小さくなり、若い人では大きい傾向があります。

DS(ドライビングシュミレーター(模造運転装置))では、年齢が上がるにつれ、視線の水平方向のばらつきが小さくなったと報告されています。

速度によっても、視野の動きは小さくなります(より速度が上がると視野が狭くなる)。

またDS上で緑内障患者さんを対象に検証したところ、交通事故(仮想)の直前の視線の動きは小さくなり、さらに垂直方向の低下が著しいことがわかりました。

上方で信号を見、前方水平上に車や人を見、下方で計器を見ることを絶えず繰り返して運転しているのですが、どこかで少し視線が停留した時に事故が起こっています。

 

注意が向く箇所が多いということは、視線が大きいということ。

 

DSの目的は、自分の運転を模擬体験し、どこにリスクがあるかを自覚してもらうことです。

自身の視野異常を理解し、眼科医の助言の元に、注意して運転することで事故を起こさないようにする。

もしくは、視野異常を理解した上で、運転を止める自己決断をする。

 

DSおよび運転外来は、全国で2施設しかありませんが、私たち眼科医も運転が気になる患者さんには助言をしています。

 

2シーターのマニュアル車を運転していた(若かりし頃)院長も、運転技術の低下・視線のばらつき低下を感じるこの頃。

運転は最低限に。

公共交通機関&ママチャリ大いに活用しています。

 

運転が気になると思う方は、ご相談ください。

 

 

カテゴリー:公センセの日常の出来事 眼に関すること

2024.6.4 生きてるで~

産業医の日。

事務所に入る時は『こんにちわ~!』

いつもは『センセ、こんにちわ~』(関西弁で)の店長さんの声が小さい。

『センセ、僕、今日元気ないんですわ~』(以後関西弁です)

『どうされました?』

『いや~脚立から落ちまして…』

は~!?

『大丈夫でしたか?』

『生きてるで~』

(関西人はこういうリアクションなんですね!?吉本新喜劇だけかと思っていたら…)

『だけど、痛い。かなり痛いですわ~』

 

先月は、会社自体で労災がいつもより多く発生。

切創、打撲・捻挫、骨折が内訳です。

 

店長の労災発生状況をまとめると…

天井からぶら下がっている看板を外そうとした。

直下でなく、少し離れたところに脚立を設置。

上って手を伸ばしたところ、バランスを崩し落下。

頭部背部腰部打撲。

救急車にて病院に搬送。

頭部MRI異常なし。たんこぶ有。

腰部圧迫骨折。全治3か月。

 

どうしたら防げた?

目標物の直下に脚立を設置すべきだった。

 

店長自ら労災申請書を書く羽目になり、とほほ顔。

 

『巡視大丈夫ですか?』

『何とか歩けます』

痛みをこらえてゆっくりゆっくり。

今日は口数も少なめです。

事故現場も写真に撮っておきます。

 

バックヤード随所随所、売り場でも先々で

『店長大丈夫でしたか?』の声。

確かに日中、救急車がスーパーに横付けされ、しかも店長が搬送となれば大騒動。

全員が知るところとなります。

その度に『生きとるで~』と返す店長。

これは、関西人全般のリアクション?

名古屋人だったら…

『ん~まあ…』とお茶を濁すか…

『大丈夫じゃないに決まってるでしょ(見たらわかるやろ)』って言い放つか…

『生きとるで~』の返しを何回も聞いていると、店長さんがみんなに慕われているのが伝わってきます。

 

会社からの労災ニュースには、転倒予防体操も紹介されていました。

物の配置や環境には気を付けなければいけませんが、自身の身体の強化も。

転倒しない・転倒しにくいための身体作りです。

労働災害だけでなく、加齢により転倒事故は増えるので、特に下半身を鍛えることは大切です。

転びかけて、とっさに手を着けないと、顔面打撲をしてしまいます。

外来でも往診でも、転んで顔を打ってひどい皮下出血になった患者さんがおられます。

さらに骨折すると治癒するまで相当の時間がかかります。

そのままフレイルになってしまうことも。

 

院長も、もう転べない年齢(50代)になっています。

下半身強化は一生の課題です。

 

さて、今日はゆっくり巡視。

店への投書欄にも目を通します。

『この店は、パンの宣伝の放送が大きすぎるし、回数も多すぎる!そこまで店長がパンにこだわるのは何かあるのですか?』の声。

『他競合店との差別化を図るために、店長はパンに注力、執着しております。ご理解お願いいたします』と返事。

紙カードのやり取りに、くすり(笑)。

 

他にも、店員の態度とか、割引の時間とか、商品希望とか…一つ一つに回答を付けて貼りだしてあります。

時代錯誤かもしれませんが、匿名と言えども、ネットより紙に自筆と言うのが、親密さ(怒りや要望にしても。もちろんお褒めの言葉もある)を感じます。

 

店長さんもまさか自分が労災に遇うとは、思ってもなかったことでしょう。

天災どころか労災も忘れた頃にやってくる。

今日の教訓。

産業医としても気を引き締めねばなりません。

 

早く良くなってくださいね。

 

 

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