2022.8.2 おかげさまで25週年
開業初日の朝は今も記憶に新しい院長です。
8月1日まぶしい快晴の朝。
おかげさまで、25周年を迎えることが出来ました。
あの日以来ずっと地域の開業医として走り続けています。
異郷地で、小さな子供たちを抱えながら仕事を続けるのに、開業を選択しました。
開業の翌年に三男を出産。
自営業(開業医)は、産休・育休は保証されておらず、出産日と産後7日休んだ後復帰しました。
地域の開業医としての勝手な自負と責任感、若さゆえの体力が可能にしました(いつ寝ていたのか?)。
保育園の預かり18時に診療終了時間を設定したものの、お迎えはいつも遅刻。
我が家の子供たちはいつもお残り組でした。
眼科専門医の資格は取得したにもかかわらず、開業してみると、知識や経験の足らなさを自覚しました。
育児も中途半端で、女医がフルに働くことはなんて難しいんだろう!と嘆いたものです。
眼科医としての充実か、母親として育児の充実か?
優先したのは、医師としてのキャリア形成でした(もちろん悩みました)。
長男が小学校入学を機会に、自身も大学院入学。
しばらく遠ざかっていた大学病院の緑内障外来や研究。
開業医+育児家事に加え更に厳しい状況になりました。
子供たちがプールで泳いでいるのを見ながらのママ友の雑談から離れて、必死に論文を読んでいました(絶対的に時間が足りないので)。
台所にはパソコンを置き、4時起床が日課となりました。
子どもたちは、平日母とは遊べなくなりました。
あの時、今でなくても…と言う声もありました(家人ではない)。
もっと子供が大きくなってから…とか。
でも、あの時しかなかったし、あの時だからこそ出来たのだと思います。
医学博士は、最後のご褒美であって、その過程こそが大きな自信となっています。
緑内障の失明症例などを経験していくうちに、視覚障害者補装具適合医師の研修を受け、ロービジョンにも関心を持つようになりました。
パラスポーツを知って、まずは健常者のスポーツ医学を学ぼうと、日本医師会認定健康スポーツ医を取得。
ロービジョンとスポーツ医の次は身体障害者スポーツ医も取得しました。
患者さんの就労環境や健康管理の話から、産業医も取得しました。
また、高齢の患者さんも多いため、名古屋市もの忘れ相談医としてもの忘れ検診を実施しています。
開業以来拝命している学校医も、自身の資格や経験を活かして活動出来ていると思っています。
思い立った時はチャンス!
一歩踏み出すことで、その時はたくさん苦労もしょい込むことになりました。
でも、もっと先の未来(現在)に立てば、全てがつながっていると感じます。
眼科医が根幹を占めている院長ですが、色々関心のあることに枝葉を伸ばしたことで、幹も太くなってきたと思います。
当院は、オーナーシェフ1人でやっている小さなレストランだと思っています。
シェフの味と人柄を求めてお客様が来てくださるのが、生きがいです。
シェフは、お客様ひとりひとりが大好きです。
同じ気持ちを持ったスタッフも頑張ってくれます。
お客様の期待に応えるべく、気持ちよい空間(屋内外とも)つくりと、味の仕込みを続けています。
『来てよかった~また来るわ~』と言ってもらえる一皿をお出ししたいです。
知識も経験も年月を経て蓄えられます。
量ることは出来ませんが、院長の眼科医人生の中で、当院の患者様からの得た経験は大きなウエイトを占めています。
経験を診療で還元できるよう、これからも日々研鑽を積んでまいります。
地域のかかりつけ医として、今後ともよろしくお願いいたします。