2017.9.5 やれない?やらない?
母の40年余の友人であるNさんとは、ここ何年かは、1か月に1回ほど、葉書で近況を知らせあっています。
Nさんは80歳目前。
シングルで元キャリアウーマン。
時代の先端を行っていた人。
そんな姿に、母と同年齢にもかかわらず、自分が成長するにつれ、『憧れ』の『頼りになる』お姉さん的な存在になっていきました。
ある日の葉書。
『明日から入院して手術を受けます』
携帯電話は持たない主義のNさん。
連絡のすべもなし。
きっと、落ち着いたら連絡が来るはず。
それから1か月半後、待ちに待った郵便。
そこには、弱い筆圧の字体で、診断名、手術の方法、予後など書かれていました。
また、連絡先は、病院の病棟になっていました。
私にできることは、とりあえずお見舞いの言葉を送ること。
それから毎日、日常のありきたりを、お見舞いに行った時の雑談のように記して投函。
『お見舞いに行きたいね~。でも、遠いし、色々用事入っているし、なかなか行けないね~』息子にポロリ。
『行けばいいじゃん。どうしても必要な用事なんて、そんなにないでしょ(失礼な!)動かしたり、キャンセルできるじゃん。
行けないのじゃなくて、行かないんじゃないの?』
ポンと、息子に背中を押されました。
そうなると話は早い。
スケジュールを調整して、直近で、飛行機を予約。
事前連絡なしで、お見舞いに伺うことは、迷ったのですが。
病人に気遣いをさせたくない、私なりの気遣い。
新千歳空港から電車を乗り継いで病院へ。
そっと病室に入り『Nさん、Nさん』と声掛け。
『えっ!?公ちゃん!?わざわざ来てくれたの?夢みたい!』
それからは、体調に差し支えない程度に、おしゃべり。
お見舞いにしては、ずいぶん長居をしてしまいました。
思ったよりも元気そうでほっと一安心。
帰りの飛行機は、霧のため遅延。
今日帰れないと、明日の診察は…と多少不安になりましたが、無事セントレアへ。
慌ただしい日帰りの北海道でしたが、本当に行ってよかった!
『やれない』のと『やらない』のと。
身体的、金銭的、環境など様々な理由で『やれない』ことは、たくさんあると思います。
しかし、結構『やらない』のを『やれない』と言い訳にしてしまっていないか?
『やれない』の中には、『やらない』意思が優位に立っている場合が多々あるのでは?
振り返って自分を内省するには十分な一件でした。
今度は、息子に、言ってやろっと。