2015.10.13 老眼、バンザイ
中日新聞のくらしの作文に『老眼、バンザイ』と題する投稿がありました。
投稿者は61歳の女性。
要約すると…
『左右とも1.5あった私は、50歳を過ぎたころから近くの細かいものが見えなくなった。
老眼鏡をかけても針穴に糸が通らない時もあり、縫うのをやめてしまう。』
この方には元々軽度遠視があったと思われます。近くが見えなくなったのは老眼です。
元々視力の良い人は遠くにピントを合わせるのが得意の目なので、
加齢の伴い調節力が低下すると、老眼鏡をよほど強度にするか、
拡大鏡を使用しないと、近くにピントが合わせられません。
『しかし、老眼は悪いことばかりもたらしたのではなく…
皺の寄った顔がはっきり見えないから、皺のない顔に見えなくもない。
眼鏡をかけず、はっきり見えないままで”バーチャル化粧”をする遊び心も。
また、家の中の髪の毛や埃も気にならなくなって、神経質が緩和されたよう。』
シミ、皺の見えない顔に、一瞬自己満足度が上がりますね。
しかし、見えないままでの化粧はちょっと怖かったりもします。
たしかに、髪の毛や埃は見えなければ気になりません。
最後は
『「年をとったらおおらかに生きろ」と神様が与えてくれたのが老眼』
と結ばれています。
近視だと、老眼になっても、近くのどこかにピントは合うので、
程度によってはキスするくらい近づいてみることになっても、見えないことはありません。
眼鏡やコンタクトレンズ無しでは、周辺部より遠くはみんなぼやけていますが。
元々視力の良い人は、ぼやけて見える経験をしてこないからこそ、
近視人が老眼を自覚するよりショッキングなのでしょう。
近視の場合、部屋の埃や髪の毛くらいは、眼鏡をかければ見えるのですが、
それをまめに対処するか否かは、「おおらかに」か「ずぼらに」かです。
最近一つ年をとり、老眼自覚も十分な院長。
昨年より「よりおおらかに」生活したいと思います。