2024.11.26 目の神様in奈良&愛知
始めは偶然知った目の神様も、だんだん、目の神様巡りが旅のテーマのひとつになっています。
患者さんから『目のお寺、好きなんですか?』
と、聞かれることがあります。
好きか嫌いか?と聞かれれば、好きでお参りしているのですが、寺社仏閣に対して『好きです』は何ともミーハーみたいで答えるのに躊躇します。
一眼科医の興味…ですが、信心を持っての参拝客には失礼な答え。
地元のお寺で毎週お経を習い(子供会単位で!)、家でも仏壇に手を合わせお経を読んで育った院長。
医師になるまでは、何事も御仏が助けてくださると信じていましたが、医学(科学)の道を進むうちに何でも祈願祈祷で良くなることはない事実も目の当たりに。
ほとんど無宗教に近い現在でも、それぞれの寺社仏閣にご利益に至るゆかり話に興味はあるし、足を運び参拝することに意義があると出かけています。
今回は、奈良・壷阪(つぼさか)寺。
せっかくなので法話も聞ける日を選びます。
橿原神宮からの電車は混んでいましたが、飛鳥で多くの人が下車。
壺阪寺下車客は数人。
小さな駅から1時間に1本のバスに乗り込み高取山の中腹へ。
壺阪寺は、眼病封じのお寺で、歌舞伎『壺阪霊園記』として有名だそう。
今から300年以上昔、座頭の沢一は条坊お里と暮らしていた。
お里は午前4時になると床を抜け出していた。
もしや、好きな男でも…と問いただすと、この3年壷阪寺の観音様に朝詣でをしていた。
沢一は自分も観音様にお参りを始めたが、盲目ゆえに不遇な暮らしをさせていると思い身を投げた。
それを知ってお里も身を投げてしまう。その夫婦愛に、観音様の霊験で二人は助かり、沢一の目が開眼した。
真偽はともかく、エピソードを知ることも『へ~』
ここでは、お守りや数珠だけでなく、目薬や目薬の木飴・せんべいなども売っていました。
目薬の成分は確認して、お守りとせんべいをいただきました。
また、別の日。
灯台下暗し。
愛知県にも目の神様があることを知る院長。
知多の『めがね弘法』大智院。
眼鏡をかけている弘法大師です。
安政7(1860)年、目の不自由な浅吉翁が身代大師に祈願したところ、目が見えるようになった。
代わりに大師の左眼が傷つき、以来、翁の残した眼鏡をかけられるようになったとのこと。
現代は、目の病気があったり目が見えなくても、黒い眼鏡をかけることはなくなりました。
しかし、昔は、黒い眼鏡をかけている事=視覚障害者のイメージでした。
黒い眼鏡と白杖が目の見えない人のイメージとなっていました。
黒い眼鏡は遮光の意味と、表から眼の状態を隠すために使われてきました。
めがね弘法の眼鏡も眼病(もしくは怪我)を隠すためと思いますが、今の人が見ればサングラスをかけた弘法に見えます。
最近は丸い眼鏡が流行っているので、今風に見えないこともないです(罰当たり)。
ちょうど、めがね弘法大祭の日。
眼病平癒・健眼長寿の加持祈祷がされていました。
○○(住所)の○○(名前)の○○(目の病気)と祈祷の声がリズムよく流れてきます。
つい病気・病名で祈祷されている人のことをしばし想像する院長。
ちゃんと眼科もかかっていますよね?!
ここでも目薬・目薬の木のお茶・先見(先がよく見える)飴が売られています。
目の神様に『へ~』を見つけに参拝する罰当たり?な院長です。
もちろん患者さんの眼病治癒祈願をしています。
■目の神様シリーズはこちらからご覧ください
→目の霊山
→鎌倉好き