2016.9.13  忘れられない人

先日近くのコンビニへ。
レジには、半年ぶりに再会(こちらが勝手に)するお兄さん。
お兄さんは、ずっと夜から早朝の担当。

コンビニで、このお兄さんを見るたびに思い出します。

10年以上前の、夏の朝。
朝食の時に、何かのきっかけで父親からひどく叱られた息子。
素直に謝るどころか、火に油を注ぐような発言。
『もうご飯食べなくていい。この家が嫌なら、出ていけー!』
『出てったるわー!』
売り言葉に買い言葉。
息子はすごい勢いで外へ。
『待ちなさーい』と叫んだ時には、すでに疾走。

どうせすぐに戻ってくるわ…と信じつつ30分経っても帰ってきません。
家の周り、近くの公園などにもいません。
自転車を漕いで『〇ちゃ~ん』『〇ちゃ~ん』
歩いている人を呼び止めては『阪神タイガースの服を着た、坊主頭の子供見ませんでしたか?』

そうこうしているうちに、橋の下に見慣れた子供が。
『上がってきなさーい。帰るよー』
『帰らんわ』
またまたピューと疾走。
狭い道を曲がって見失ってしまいました。

そこらあたりを探すも限界。
仕事の時間は迫ってくるし、疲れ果てて自転車を引いて帰ることに。
最後に、もしや?と入った最寄りのコンビニ。
『阪神タイガースの服を着た、坊主頭の子供、寄りませんでしたか?』
『あそこで、マンガ読んでますよ』
『〇ちゃん!』
『母さん!』
へなへな…となった母。

『もういいから。うちへ帰ろうね』
お兄さんにお礼を言って帰路へ。
『母さんに見つかったあと、家に向かってたの?』
『家には帰れんかったで、コンビニでトイレ借りた。あのお兄さんが、「お母さんが来るまでここにいなさい」って言った』
お兄さんは、小学生の息子の来店に、ただならぬ雰囲気を感じたのでしょう。

何事もなかったように、いつも通り診療ができたのは、安堵と若さゆえ。

お兄さんは、すっかりあの出来事を忘れてしまったでしょうが、母子にとっては『忘れられない人』であり、忘れられない夏の一コマです。

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2016.5.24 あなたの好きなように

学校検診後の『受診のお知らせ』用紙を持って来院される患者さんが増えています。

近視の場合は、程度によって眼鏡を処方するか否か。

処方しない場合は、どのくらいの間隔で経過を見ていくか。

前回の視力検査より急に視力が低下した場合や、患者さんがまだ小さい場合は、検査薬を用いて、調節力(ピント合わせの力)を取り除き正確な程度を測定します。

もう、眼鏡処方をした方が良い場合…

Dr「○○君、黒板の字見える?」

子「何となく見えるけど、見えない時も多い」

Dr「どうする?眼鏡はめたらすっきりするけど、どうしたい?」

○○君、お母さんの顔を見る

母「あなたが決めなさい。あなたのことだから」

子「じゃあ、作る。はめる」

母「いいの~?本当にいいの?」

「眼鏡はめたら、どんどん悪くなりますよね~?」

Dr「そんなことないですよ」

母「眼鏡はめ始めたら、はめっ放しになっちゃいますよね~?」

Dr「近視の程度によりますよ。本人が不自由なら自分から積極的に掛けます」

母「まだ小さいので、壊すかもしれないんですよ~」

Dr「壊すことは滅多にないですよ。フレームのゆがみは、眼鏡屋さんで直してくれますし」

母「こんな小さいうちから、可哀そうじゃないですか?」

Dr「見にくいままの方が可哀そうな気がしますが…」

母「どうする?大丈夫?良く考えてよ」

子(母の顔をじっと見て)「もう少し考える」

母「ということで、もう少し様子見るそうです」

Dr「わかりました。では、もう少し様子見ましょう。掛ける気になったら言ってください。処方箋書きますね」

 

父親が付き添いの場合は、「眼鏡作りましょうか?」「どうする?」「お前が決めろ」「作る」「よし」「まだ作らない」「わかった」で終了する事が多いのですが。

 

「あなたの好きなように…」と言いつつも、その裏には、母親特有の(広く言えば女性特有の)『私の希望に沿って』というニュアンスが感じられる場面が時々あります。

 

自身もそういう常套句を使った身。

子供たちが大きくなった今、反省すること然り。

『相手の意思を尊重するようで、自分の希望を聞いてほしい』そんな女子心に、「女ってめんどくせ~最初から本心を言えよ~」と、吠える息子たちです。

 

ともあれ、眼鏡はそんな悪いものではありません。

生活を良くするツールです。

お母さん、心配しすぎないでくださいね。

 

 

 

カテゴリー:公センセの想い 眼に関すること

2016.5.17 お返事は?

今年も学校検診が始まりました。

 

学校医初めての年、下の息子をクーハン(赤ん坊用のかごバスケット)に入れて同伴したのは懐かしい思い出。

たくさんの小学生を見ながら『こんな風に大きくなるのかな~』、中学生を見ながら『こんな風に逞しくなるのかな~』と思ったことも、今は昔。

今は、検診に行くたび『可愛いな~』『そのうち、うちの息子たちみたいな図体になっちゃうんだろうな~』と愛おしく思います。

 

さて、眼科健診は、眼に病気がないかどうかをチェックすることが目的です。

学校保健上、まぶたや結膜などといった表面的な異常を見つけます。

充血・ろほう・まぶたの異常など。

加えて斜視など眼位の異常など。

いずれも、おかしいか否かをふるい分けるので、診断まではつけません。

もちろん、こちらでは、結膜炎、アレルギー、めんぼ、皮膚炎などの診断の見当はつけていますが。

それゆえ、『受診のお勧め』をもらって、医療機関を受診して初めて診断・治療となります。

毎年、低学年(特に1年生)の用紙回収率はいいのですが、高学年になると放置…という事例も多くなってきます。

『受診のお勧め』をもらったら、タイムリーに受診してください。

 

近年検診で気になることは…

多くの学校では、先生が生徒の名前を呼びます。

ずらりと整列して、名前を呼ばれたら返事をして、医師の前に立つのが、眼科検診の定番スタイル。

「○○さーん」

しーん。でも、前に出る生徒はいます。

「○○さーん」

無言。

「○○さんだよね?」

無言。

「○○さんだよね?」

うなずく。

「お返事は?」

無言。「?」

「名前呼ばれたらお返事しなくっちゃ。誰を検診するのか、わからなくなるからね。お返事は?」

「はい…」

検診開始。

約3分の1の生徒には、この繰り返しです。

なかには、気持ち良いくらい、元気に「はいっ!」と返事をする子もいますが。

『自分の名前を呼ばれたら返事をする』のは、他人に『自分です』と確認をさせるためのはず。

いつから子供は返事をしなくても済む生活になってしまったの?

お手本にしたいのは『笑点』の春風亭昇太さんの返事。

次回の大喜利で見てみてください。

カテゴリー:公センセの想い 眼に関すること

2016.4.26 引っかかり

倉庫にあった朽ちそうな段ボール箱の中から見つけた中学の卒業文集。

中学時代に一番心に残ったことについての内容。

題名は…『絶体絶命』

以下抜粋。

中1の文化祭の終了時、舞台の後ろに行こうとして、私のセーラー服の裾が、どういうわけか緞帳(どんちょう・客席から舞台を隠す幕)の棒の端に引っかかってしまった。

「外さねば」と考える余裕もなく、緞帳は上がり始めた。

演劇部員が知らずにボタンを押している。

私はステージを見下ろせるように、宙に浮いてきた。

「助けて~。誰か助けて~」と言っても下にいる誰にも気づいてもらえない。

緞帳も最高位で停止したので、真下とその周り少ししか見えなくなってしまった。

みんなが体育館にいるうちに、何が何でも助けてもらわなければならない。

無我夢中で「助けて~」の連呼。

誰かが気づいて先生に知らせてくれた。

「1年生が引っかかっとる」

「えー!?引っかかっとる?」

「緞帳を下ろせ~」

「手を離すな~死んでしまうぞ!」

左手には眼鏡、残る右手と引っかかったセーラー服のみで自分を支える。

セーラー服の裾が破れたらおしまい!

 

徐々に身体が下へ降りて行き、みんなの声が大きくなる。

足が地に着いた。

手はしびれて足はがくがくしたが、それでも私は、安心感で一杯だった。

あの時、小説みたいにうまく助かったが、もし、誰も気づいてくれなかったら、耐えられず手を放してしまっていたら…と思うとゾッとする。

今ではテレ笑いで話せることも、あの時は絶体絶命だったのである。

戦争を知らない私にとっては、あの時ほど無事で良かったと思えたことはない。

 

中学3年生の私が中学1年の私を回顧して書いています。

あれから30年以上人生を歩んできましたが、あの時の自分の幸いなる命に改めて感謝です。

 

それにしても、ドアノブでよく服の袖口を引っかける私。

白衣が引っかかることもあり、弱い生地なら破れることも。

ドアノブを下げて開け、絶妙に袖口に引っかかる方向を向いて進むのだと思いますが。

袖口で済んでいますが、『引っかかり癖』があるようです。

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー:公センセの想い 公センセの日常の出来事

2016.4.19 桜が散る頃には

今年も桜は散ってしまいましたが、桜の散りかけの時期に歩くとおセンチになります。

無心に走る、歩くという人がいますが、きょろきょろ派の院長としては、

きょろきょろしながらも思う人、考える人。

 

桜の散りかけに想うのは、亡くなった患者さん。

とりわけ、長期に渡り来院されていた患者さんや往診で診ていた患者さんには、

思い入れがあります。

 

今年、往診で診ていて逝かれた患者さんはすでに5人。

内科医の要請で往診し、「寒いからどうぞ」と缶コーヒーをもらっての次回往診は

突然の死により中止になったKさん。

肺気腫で起き上がることもえらくて、それでも往診時は頑張って起き上がろうとされていたNさん。

60歳を超える息子さんが全面的に介護していたAさんは、寝たきりにも関わらず

いつも「元気やわ」

「もう少しテレビがみたいから」と、やっと手術を決心した矢先に逝かれたIさん。

入所施設が変わっても10年以上!往診をした視神経萎縮のS子さん。

 

訃報を聞くたびに、「○○だったのにね~○○のこともあったね~」といつも往診に同伴してくれるKスタッフと思い出を語り合います。

眼科医ゆえ、直接死に立ち会っていません。

そのため、思い浮ぶのは穏やかな顔だけです。

過去に亡くなった患者さんのお顔が次々に浮かんできます。

桜の散りゆく下で、想いをめぐらせます。

家族でもなく、親類でもなく、友人でもなく…でも想っている人間がここにいます…

 

カテゴリー:クリニックに関すること 公センセの想い

2016.3.22 学校検診の変更

来年度(4月)から学校保健安全法の一部改正が施行されるので、学校医は講習会へ。

内科検診では座高・寄生虫卵有無の検査は削除され、新たに四肢の状態が追加されることに。

また、身長曲線(身長の伸びのグラフ)・体重曲線を積極的に活用して、

発育の評価をすることになりました。

 

さて、眼科では…

『色覚検査』が復活です。

名古屋市では平成14年度から施行されていません。

大方の人が、小学校で表を見せられ、数字を答えたり線をなぞったりしたことが

あると思いますが、それが色覚検査です。

男性では20人に1人、女性では500人に1人の確率で発現します。

色覚異常に対するバリアフリー化(黒板での赤チョークの使用をやめる・

色間違いを起こしやすい配色は避ける)が教育の場で行われてきたことは喜ばしいことですが、

問題も起こりました。

きっかけは、色覚異常と自覚しないまま社会に出た若者が、就職時の健診で初めて知り、

希望の職をあきらめたという経験が報告されたことです。

 

そのため、今回の色覚検査の目的は…

自らの特性をあらかじめ知って将来に備えることの有用性を大事にする。

学校での色覚検査の意義を見直し、希望者には学校保健の中で検査する。

例えば色覚異常とわかったら、航空機のパイロットはあきらめないといけないけれど、

それ以外で自分に適した職業を目標に頑張れます。

背が高い・低い、体重が重い・軽いなどの身体的特性と同じように考えましょう、

ということ。

 

名古屋市では、小学1年生の「保健調査」で、保護者から「色間違いをすることがある」

と連絡があった児童に対してのみ色覚検査の希望を尋ねるとのこと。

しかし、保健だより等で、児童誰でも検査を受けることが出来る機会があることは、

情報提供されるようです。

 

短所であれ長所であれ『特性』と受け止め、プラスに考える。

児童にそれを自分だけで受け止めるのは、ちょっと難しいかもしれません。

もちろん保護者だけでも…

そんな時には、学校医に相談してください。

学校保健委員会にも、ぜひ参加してみてください。

 

さあ、あと1ヶ月もしたら、健診シリーズ始まりです。

健診時、大きくなった子供たちに会えるのが楽しみでもあります。

 

カテゴリー:公センセの想い 眼に関すること

2016.2.9 視線が怖い

『視線の恐怖』の『視線』と言う言葉が気になってEテレ(教育テレビ)を見ました。

 

視線が怖い…?

真っ先に浮かぶのは『ガンつけ』

経験したことはありませんが、そんなことがないように、

その手の人とは関わらないようにしている人が一般的でしょう。

次に浮かぶのは『サスペンス』ドラマや映画での登場人物の視線。

好んで見る人もいるでしょうが、自分はこの手のドラマは避けるか、

仮に遭遇しても下を向くか目を閉じます。

 

しかし、この番組で取り上げられていたのは、そうした誰もが想像する視線ではなく、

普通なのに普通ではない視線に対してでした。

『視線恐怖症』というそうです。

 

『視線恐怖症』はさらに、

他人の視線が気になってしまう『他者視線恐怖症 』

相手に不快感を与えてしまうのではないかと、自分の視線の置き場に困る『自己視線恐怖症』

自分の視線が相手を不愉快にさせてしまうのではないかと思い、

相手を正視できなくなる『正視恐怖症』

視線を向けてはいけないと意識するほど、そちらにちらちらと視線がいってしまう『脇見恐怖症』

に分けられるそうです。

何気ない一言や体験がきっかけになることもあり、

周りの目が気になり始める中高生の約30%が該当するというデータも。

『視線』につられて見た番組でしたが、『こころ』の話題でした。

専門外の勉強になりました。

 

『目は口ほどにものを言う』

鼻や耳ではそうはいきません。

仕事柄、視線が怖い?ほど、毎日人の目をじっと見つめ、観察しています。

でも、鋭い目つきの中に、温かさも持っています。

 

人を見つめることは、相手に興味・関心を抱く自然で大切なサイン。

返ってくる温かいまなざしは、うれしいサイン。

そう思って、いつでもどこでも、きょろきょろして、

気になれば興味の視線を向けるおばさん(私)です。

カテゴリー:公センセの想い 眼に関すること

2015.9.15 日本緑内障学会

日本緑内障学会が開催されました。

どんな分野もそうですが、医学は日々進歩していて、眼科の病気のひとつである緑内障も、

病態や薬物治療、手術など、どんどん新しいことが解明されたり導入されたりしています。

 

今回は名古屋での開催のため、スタッフも市民公開講座に参加しました。

講師は、師匠の岐阜大学・山本教授。

日本屈指の緑内障専門家です。

参加者の質問を基に構成されたQ&A式の進行。

スタッフからは、大いに勉強になったとの感想が。

院長も患者さんの質問に同じように答えているんだ、と確認する場にも(末席ながら弟子ですから)。

レポートも書いてくれたので、当院のHPの『緑内障』コーナーに、要約を添付します。

→詳しくはこちら

緑内障点眼瓶のマスコット『めぐりん」が登場。

今後、キャラクターによる啓蒙活動もされるかもしれません。

 

多治見スタディ(岐阜県多治見市での疫学調査)では、40歳以上の17人に1人が緑内障であることがわかりました。

当院でも、他のことで来院されて診察すると、緑内障が見つかることがあります。

発症率からみると、それほど珍しいことではないのです.

しかし診断されると、淡々と受け止める方もいれば、ショックを隠しきれない方も。

失明の原因第1位の緑内障ですが、怖がる必要はありません。

定期的に検査を受け、点眼をし、自己都合で止めないこと。

生活に支障ない目で一生を送れるお手伝いをするのが眼科医です。

小さなクリニックだからこそ、直接患者さんのQに答え、視生活に応えていきたいと思います。

 

カテゴリー:公センセの想い 眼に関すること

2015.6.2 目の見えない人は…

「目の見えない人は世界をどう見ているか」(伊藤亜紗著)を読みました。

「全盲の僕が弁護士になった理由」のように著者自身が視覚障害者である本ではなく、晴眼者の著者が、視覚障害者4人を通して、視覚障害者のもののとらえ方を考察していくというもの。

見える人が目をつぶることと、そもそも見えないこととはどう違うのか。

4本脚の椅子から1本引くと椅子は傾いてしまうけれども、脚の配置を換えれば3本脚で立っている椅子もある例えを出し、脚が1本ないという「欠如」ではなく、3本が作る「全体」を感じることだと述べています。

「障害者とは、健常者の使っているものを使わず、健常者が使っていない者を使っている人」だと。

さらに興味深い例が挙げられています。

空間認識についてです。

「富士山」と聞いたら、どんな富士山が浮かび上がるか?

きっと、ほとんどの人が新幹線から見るような、銭湯で見るような「末広がりの八の字」をイメージするでしょうが、視覚障害者の話によれば、飛行機から眺めるような「上が欠けた三角形」としてイメージしているそうです。

見える人にとって平面的にとらえているものが、視覚障害者にとっては立体的にとらえられているのです。

他に、月のイメージ。大阪万博会場の太陽の塔の顔の数など。

 

空間認識だけでなく、感覚・運動・言葉についても、健常者との違いが述べてあります。

 

見える人と見えない人のあいだに差異はあっても優劣はないはずですが、現実には見えない人はどうやって見える人と同じように生活していくことが出来るかということが福祉的な関心です。

見えないから困っていることばかりではなく、見えないからこその認識、感覚があることを知ると「そっちの見える世界も面白いねぇ!」ということになるのでしょう。

 

晴眼者の常識(しかも、それは偏見かもしれない)とは違う「見えない人の世界」を少しは知り、考えることのできるお勧めの本です。

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2015.4.7 雨の桜

今年も扇川沿いの桜を堪能しました。

つぼみの三分咲きの頃から五分咲き、七分咲き、満開。

晴天の桜、曇天の桜。

歩いて、走って、自転車で。

その移ろいを時間と速さで感じることが出来ました。

ですが、雨降りの桜だけは、切ないものです。

 

 

もう20年以上前。医師国家試験を終え、会場玄関から門まで続く満開の桜並木に初めて気がついたのでした。

前日会場入りした時には、桜など目もくれず、試験のことで頭がいっぱいでした。

友人と傘をさしての帰り道。

終了直後の他大学の受験生の解答を確めあう会話を耳に挟み、二人とも少々落ち込み中。

事態は悪い方向へ…と仮定しての話へ。

「私、不合格だったら専業主婦になる。そして落ち着いたらまた勉強するかなー」彼女は翌週先輩と挙式。

クリスマスケーキにならないように(25歳を過ぎたら売れ残り)と結婚願望は強いものの、決まった相手もなく、「本当に落ちたらどうしよう。逃げ場があってうらやましいな」と雨に濡れ散り始めた桜の下を歩きながら、どうしようもなく切なくなりました。

 

あんなに心配していたのに、結果は二人とも余裕で合格。

彼女も私も専業主婦になることなく、今日まで、それなりに仕事と家庭の両立をしています。

家族の存在は有難いですが、結婚が逃げ場ではないことを、あの時の私に教えてやりたいものです。

未来に大きな希望と不安を抱いていたあの時の私に。

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