2024.8.6   YaYa(あの夏の日を忘れない)

『子供が生まれてから毎日大変なんです』某メーカー営業さん(男性)。

『何か月?』

『4か月です』

『そうね~…』と言ったものの、院長は次男生後4ヵ月半の時点で開業です。

 

やれるか?というよりやるしかない!の選択肢のみ。

次男だけでなく長男も2歳になる前。

以来、自身の医師として、母としてのどちらも中途半端に悩まされながらも、目の前のことだけをこつこつやってきたつもりです。

 

お陰様で8月1日に開院27周年を迎えました。

当日、レモンイエローのワンピースを着て(今なら赤を選択しますが)、二人の子供と近くの神社にお参りしたことが思い出されます。

 

終活?で当時の日記(今は付けていない)を見つけました。

当日の日記には、開院状況の他、最後に『A(長男)ちゃん、B(次男)ちゃんごめん』の文字が。

実際、開業以来、仕事がメインになり、子供の行事も診療日と重なれば行くことはありませんでした。

 

まだ医学部女子が少ない頃に医師になったからには、『だから女医は…』と言われたくない一心。

小さなプライドです。

まだ実力不十分若輩眼科医の診療を慕って下さる患者さんへの思いもありました。

三男出産前日まで通常に診療し、出産後1週間で通常診療に戻ったのもそのためです。

勤務医時代は、産休は法律で付与されていましたが、開業(自営)となると別。

気力体力で乗り越えられた心身の丈夫さに感謝です。

 

息子たちにステレオタイプの母親(院長が憧れていた)らしくしてやれなかったことは、ずっと心に引っ掛かっていました。

もう成人になった酒席で、そのことを問い申し訳なく思う心情を吐露。

しかし、息子たちは

『全然。行事には来なくても、学校健診に(学校医として)来てくれたことの方が嬉しかった』

『仕事している母親が普通だと思っていたから』

母(院長)拍子抜け。

それらの言葉に、酔いが回ったのは言うまでもありません。

 

社会人になった息子たちと、世の中や仕事などの話題でお酒が飲めるのは有り難いことです(必ず飲み過ぎます)。

 

あの夏の日を忘れることは出来ません。

子どもたちの誕生日の次に、大切な日です。

初心を忘れずに。

まだまだ攻め(前進)て行くつもりです。

直近では、新しい視野計を導入することにしました。

両眼開放下で、実は片眼ずつ検査が出来ると言う画期的な視野計です。

 

8月1日はスタッフでお祝いの会を催しました。

ホテルの個室で非日常を味わって、モチベーションアップに繋がりますように。

オンオフは大切。

みんな、それぞれのプライべートもお悩みも…ここだけの話。

それがこうクリニックの流儀、準家族のようなひと昔前の繋がりです。

スタッフからは、素敵な似顔絵をもらいました。

『かなりきれいに描いてあるね~』息子評。

 

息子たち全員が社会人になり、母親業も卒業となりました。

今までだって好きなことをやってきた方ですが、時間だけはどうにもならず断念することも。

そういうわけで、今年はお盆休みをいつもより長~くすることにしました。

子供の出産のときにも休まなかったのに、今更?

自問自答して悩むことしばし。

『よくがんばりました』

『その時頑張った貯金と思って、お休みいいんじゃない?』

息子たちだけでなく、スタッフからの、患者さんからの言葉でもあります。

みんなに支えられています。

感謝。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

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2024.7.23  プラスのメッセージ

とにかく暑い毎日。

いつもはワンピースの院長も、今回の産業医訪問はパンツとかりゆし(アロハではない)。

最近のお気に入りです。

ポロシャツは、腕周りが太くなった(筋肉ですよ!)せいか、跡が付くようになったので敬遠気味。

沖縄で見つけたのがかりゆし。

沖縄の正装とも言われていますが、数年前沖縄の学会に行ったとき、役所の人たちも着ていました。

かりゆし(嘉例吉)は沖縄の方言で『めでたい』という意味です。

着心地はもちろん、何もなくてもおめでたい気持ちになって夏の定番に。

 

事務所に入って、いつもと違うファッションなのに誰も気づいてくれません。

髪型も前回訪問時と随分違うんだけどな~

まあ、オバサン産業医に誰も関心はないだろうし、むしろ店長さんのケガを労わります。

特注の高価なコルセットを付けてエプロン姿。

圧迫骨折の痛みと、コルセットの締め付けの苦しさのせめぎ合いだそうです。

しかし、普通に巡視出来るほどの回復で何よりでした。

 

安全衛生委員会では、ブロッコリー漏水事件?の報告が。

店頭に並べたブロッコリーから水が漏れて床がびちゃびちゃに。

慌てて拭いて転倒事故は免れたというヒヤリハット。

他のスタッフは上記だけで理解できたようですが、産業医(院長)のみが???

氷水で冷やしたブロッコリーからの水滴が、劣化したプラスチックの箱から漏れ床を濡らしたそうです。

原因は、箱でした。

箱の劣化の有無を常に確認しましょう!とコメント。

 

その他、長時間労働にならないために、惣菜売り場にタイミーさんの導入例も。

どんなことがやれるんだろう?唐揚げ揚げるとか?と興味本位で尋ねると…

調理はなし、パック詰めなど単純作業とのこと。

色々教える必要がないことを任せるそうです。

また、労災事故につながりにくい仕事を。

確かに…

被雇用者も、より重要な仕事を任せてもらえない事より、任せてもらわない事の方がいいのかしら?

タイパはいいかもしれないけれど…

オバサン産業医大いに疑問です。

特に若い頃は、タイパ・コスパは度外視。

無駄と思っても遠回りと思っても、目の前のしなければいけない事をすることで、将来の自分が形成されます。

熟成するには仕込みが重要。

 

毎回『お客様の声』を読むのも楽しみな院長。

多くは苦情・要望のメッセージの中で、励ましのメッセージが数枚あります。

『店内に入る時きれいに棚に瓶が並んできれいだなと思いました(原文はひらがな)!』

『先日の高原野菜とても美味しかったです』

『毎日のように○○(スーパー)に来ます。店員さんの対応が最高。仕事のストレス解消に○○に来ます』

『毎日のように来ます。店長さんの挨拶が最高です。良き○○を』

院長も苦情・要望だけでなく、良いと思ったこと・嬉しいと思ったことを素直に伝えられる人になろうと改めて決意。

プラスのメッセージは、相手にメッセージ通りの何乗もの幸福をもたらします。

 

今回も半日遠出した甲斐はありました(遠出と思っていませんが)。

タイパじゃないよ。

 

こちらもご覧ください

2022.6.7 ちむどんどん

産業医シリーズ(一覧)

 

カテゴリー:公センセの想い 産業医 未分類

2024.7.9  何歳でもめでたい

『90歳。何がめでたい』

作家・佐藤愛子さんのエッセイ。

本書が出たのは2016年。

自分用だけでなく、参考になるかも…とおこがましくも、80代目前の母と、母の友人Nさん(母と同年齢)に贈りました。

母がどう思ったかは不明ですが、Nさんは感想を知らせてくれました。

Nさんは鬼籍に入りましたが、時代の先端を行く生き方や私との交流(私の年上の友人でもあった)を今でも思い出します。

 

そして、その本が映画化されました。

主役の草笛光子さんは憧れの人。

年齢を重ねて益々素敵になられる姿をメディアや雑誌で見ては、将来目指したいと思う女性のひとり。

90歳の草笛さんが、90歳等身大の役を演じられます。

日々の生活にアンテナを張り、感じたことを文章に。

そのエッセイを基に映像化されています。

自身の老化による体の変化を嘆きつつも、時代の進歩や日々の変化に大きく反応。

若い人に対し、怒りも含めてはっきりした物言いも、実は期待と鼓舞が含まれているのを感じます。

 

良い人でいるのはつまらない。

日々の小さな事に怒ったり笑ったり。

世の中に反応することが生きる力。

 

大いに笑い、スカッとし、頷くこと多しの映画でした。

 

Aさんが久しぶりに来院されました。

白内障の定期検査。

御年90歳。

 

『お変わりないですか?』

『息子(と言っても院長より年上)と北海道に行ってきたんですが、その時…』

いつもは『変わりございません』のAさんですが。

『どうされました?』

『北海道で車に乗っているとき、息子が指さすものを見ようとしたのですが、その時にはもう見えなかったんです…何回もそんなことがあって…』

視力も良好、白内障も年齢の割に軽く、他に病気はありません。

『動体視力といって、物を追う力が弱くなっただけです。車のスピードに目が追い付いて行かなかったのでしょう。加齢とともに、若い人(と言っても息子も高齢者?)より動体視力は劣ってきますから。病気ではないので心配いらないですよ』

『あら、そうでしたの。安心しました。』

Aさんは、袋から北海道のお土産を取り出し、

『お陰様で90歳のお祝いに北海道に行けました。お福分けです』

『おめでとうございます!』

『ありがとうございます』

有り難く頂戴。

Aさんも院長にとって目指すべき人生モデルの一人。

『私もAさんのような年齢の重ね方をお手本にしていますから、お元気でいてください』

『励みになるお言葉、ありがとうございます』

その後、スタッフと福を分け合いました。

 

院長にとって、人生のモデルは多々。

実在で年上の知人たち。

鬼籍に入ってしまった年上の知人たち。

実在で同業の女医さんたち。

医学界の高名な先輩たち。

演劇、美容、芸術など、会ったことも話したこともないけれど勝手に自分のモデル(前述の草笛光子さんなど)と認定している人たち。

そしてAさんのみならず、多くの患者さんたち。

みんなそれぞれ人生のエピソード・モットーがあります。

先達たちのそれぞれ100分の1でも真似できたらいいな、近づけたらいいなと、来る老後の目標にしています。

 

人にいいことが起これば『おめでとう』

自分にいいことが起これば『ありがとう』

祝福と感謝の言の葉から生まれるエネルギーは絶対なるパワーを持つ。

某新聞にあったエッセーから。

 

院長も何歳になってもめでたいし、ありがとう!と言いたいです。

 

*7月16日の公センセの部屋はお休みです。

 

 

 

 

 

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2023.8.1    おかげさまで26周年

今年は、ツバメの巣が2回もカラスの攻撃に遭い、卵や孵ったばかりの雛も餌食にされてしまいました。

壊れかけの空になった巣の周りを、2羽のツバメが飛び回るのを見るのがやるせない院長でした。

もう今年は来ないかも…とあきらめていた頃、ツバメの雌雄が巣を修復して卵を産みました。

今度こそは…と、毎朝晩、巣を見上げ、落下物(糞・虫それ以外)を確認する日々。

ようやく、小さな雛が5羽顔を出すように。

よしよし…と思ったのも束の間、修復した巣は手狭だったせいか、一羽落下していました。

まだ産毛が生えそろっておらず、息も絶え絶え。

可哀そうですが、見届けるしかありませんでした。

 

その3日後。

またもや、雛が1羽落下。

3日前の雛よりは、産毛はあるものの、羽も短くも揃い始めています。

当然飛べません。

何とかせねば。

 

息子に連絡。

ふだん母のお願いにはほぼ耳を貸しませんが、今回は迅速対応。

ツバメの生態・人の手での育て方などを調べ、ミルワームを買ってきました。

小さな鉢にティッシュを敷き、ピンセットでミルワームを1匹づつ。

お腹がすくときは、大きな口をパクパク開けて吞み込みます。

お腹一杯になると餌に見向きもしません。

これを30分ごと。

息子は2日間どこに行くにも連れて行き世話をしました。

『赤ちゃんの世話って大変やな~Pちゃん(雛の名前)可愛いから出来るけど』

ちょっと~

そっくりそのまま、子育て中、母(院長)があなた(息子)に向けてた言葉ですよ!

ツバメの子育てより大変だったんだから!!!(親ツバメエサ探し・運びも大変だけど)

2日後、巣に戻して無事に生育。

兄弟ツバメの中では一番小さいせいか、最後まで巣に。

兄弟に数日遅れて、やっと初立ち。

『飛んだよ~』

孫(いないけれど)を見守る祖母と父親みたいな、母と息子のしばし穏やかな時間を雛が提供してくれました。

 

ところで、先日某メーカーの担当者が代わりました。

担当のTさんは、以前にも当院担当。

懐かしさで話が弾みます。

『あの頃は、息子さんたちを保育園にお迎えに行ったこともありましたね~』

開院当初は、子供がまだまだ小さくて、保育園のお世話になっていました。

診療状況で、どうしてもお迎えに間に合わない時には、面会に来ているメーカーさんたちにも助けてもらいました(良き時代でした)。

Tさんにもお世話になっていたのね~改めて感謝です。

一人で何もできない雛のような息子たちは、お陰様で、今度は親ツバメになれるほど成長しました。

 

お陰様で、当院も26周年を迎えました。

患者さんとの出会い、そこから得た眼科学の知識と経験の引き出しはかなり多くなっていると思います。

①医師が診療し指針を示す(事実に基づき診断・治療方針を決める・経験値も有用)

②患者さんが治療方針を遵守する(点眼回数・期間を守るなど)

恐らく①②が守られていれば、病気は快復または小康状態を保てます。

上手く結果が出なければ①に戻ります。

20年以上定期的に通院されている緑内障の患者さんの多くは、進行が抑えられています。

 

何年かぶりに来院される患者さんには『思い出して来院してくれてありがとう』

定期的に来院される患者さんには『いつも頼ってくれてありがとう』

『こんにちは!○○さん』から始まり『お大事になさってください』の〆の後の、声に出さない言葉です。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

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2023.6.6 やりなおしたい?

眼科医なのに?眼科医だから?目の神様にお参りするのが好きな院長。

偶然『やりなおし神社』を知りました(神様繋がり)。

名前からして気になります。

 

新大阪からJRで淀川を渡り、梅田から阪神でもう一度淀川を渡ります。

名古屋からの道中、やり直すなら…?いつ?何を?と、仮定法の妄想を膨らまそうとする院長。

そもそも、やり直したいか?

50年以上生きていると、仮定法の世界では生きていけません。

『たら、れば』然り。

結果として今の自分がある、良くても悪くても向き合うしかありません。

人間生きていると、強くなる(鈍感化?)と感じます。

 

さて、神社のある最寄り駅に到着。

やや下町の住宅街といった印象。

 

グーグルマップで神社を目的地に。

少し歩いて行くと、順路からずれています。

立ち位置から向きが分かりづらいのは院長だけ?

建物や交差点名などが記載されている地図があったらいいのに…と痛感するアナログ派。

 

少し先のスーパーの店先で、大阪のおばちゃん(といっても院長世代)が二人立ち話。

名古屋のおばちゃん(院長)、早速駆け寄り、目的地を尋ねます。

『ここ真っ直ぐ行ってな、信号渡らんと手前の道を右に行って~そしたら神社が見えてくるで~』

お礼を言って言われたように歩いて行くと目的地。

尋ねて正解!

グーグルより親切確実!

 

『やりなおし神社』は、正式には『姫嶋神社』と言います。

阿迦留姫命が新羅の王子の妻となるが、夫に耐えかね祖国に逃避行。

摂津の姫島で再出発し、女性たちに機織りや裁縫を教えたそうです。

そのため『決断と行動の神様』と信仰されてきました。

また、大阪大空襲により社殿などが焼失。

戦後の再起を図る人々と信仰も重なり『やりなおし神社』とも言われるようになったそう。

 

『たら、れば』ではなく、『一からやり直し』の現実派の神様でした。

 

かなりこじんまりした神社です。

参拝者は、3組(自分含む)。

 

授与所で、ホタテの貝殻、ペン、直径15センチ位の赤い布玉をもらい、説明を受けます。

 

1.ご本尊参拝

2.帆立絵馬(縁起の良い帆立の貝殻が絵馬)に目標や夢を書く。

(必ず期限も一緒に書くこと)

3.目標や夢を叶えるために断ち切らなければいけない事を赤玉(断ち玉)に念じる。

4.はじまりの碑の穴を通り抜けるまで、赤玉を投げる。

(碑に穴が抜けてあります。ボール投げの苦手な院長は5回目でやっと通過)

5.帆立絵馬を碑にかける。

(ホタテのツリーみたいになっています)

 

目標や夢に対して、期限を設定、目標達成のための断つべき事柄・邪心を挙げること。

自己実現のための手引き書のような手法。

斬新な願掛けです。

 

戦後の再起復興と比べれば、とても小さな自分の目標を書いて、教えられたように祈願。

他の絵馬にも、具体的な目標が多く書かれていました。

 

一組の中年カップルは、何をやり直し?

キャリーケースの若い女性は、何やら訳あり気。

 

いただいたお守りには『順風満帆』の文字が。

 

順風満帆の人を見て羨ましいと思った若い頃。

順風満帆に見えても、見えないところで苦労はある(あったはず)し、努力もしているはず。

人生後半戦になると、よくわかります。

 

駅に戻る途中、先ほどのおばちゃんたちはまだ立ち話中。

大阪弁が心地よい。

 

阪急電車の旅も良かったのですが、阪神電車の旅も面白そうです。

新大阪に戻ると、車体にパンダの特急くろしおが。

強行軍のJR旅も良かったな~

 

■目の神様シリーズはこちらからご覧ください

初めての御朱印

身代わりどじょう

目の霊山

余呉へGO,GO

鎌倉好き

医者も祈願する!?

■阪急電車シリーズはこちらからご覧ください

阪急電車

阪急電車 続き

 

カテゴリー:公センセの想い 公センセの日常の出来事

2023.2.7  SHE SAID(シー・セッド)  

新聞(紙)は毎朝のルーティンのひとつ。

毎日3紙をざーっと見て、目に付いた記事・興味ある記事を読みます。

文化欄も好き。

紹介されていた映画『SHE SAID』を見に行きました。

 

実話に基づいた映画。

2017年、ニューヨークタイムズ紙が報じた記事。

ハリウッド映画の大物プロデューサーのセクハラ・性的暴行事件を告発。

その後、映画業界のみならず国を超えて性犯罪の被害の声を促し、#Me Too運動の起爆となったそうです。

 

そして、この映画上映中のつい先日、性犯罪要件8例が日本でも提示されました(タイムリー!)。

 

2人の女性記者の取材によって、過去の被害者が表面上の示談で泣き寝入(というか、過去を封印)していたこと、隠蔽が暗黙の了解である業界・社会であることが掘り起こされていきます。

 

被害に遭った女性への聞き取り、面会、実名公表までのやり取り。

また、加害者側の関係者・弁護士などへの聞き取り・面会など。

調査を妨害されながらも、チーム一丸となり事実を突き詰め、報道公開します。

 

この映画では、性的暴行事件の告発記事を公表する過程において、2人の女性記者の行動がカッコイイのです。

ジャーナリストとしての使命と責任、プライドを映画の中で感じます。

夜中でも、海外でも、取材依頼があれば出かけていく。

相手が年上でも、男性でも、地位が高くても、屈せず取材に飛び込んでいく。

性被害に遭った女性たちには、寄り添い共感して取材をする。

 

バリバリのキャリアウーマンたちですが、私生活では妻であり母である様子を描き出しています。

キッチンやダイニングでも原稿を書き、ベビーカーを押しながらでも仕事の電話に応えます。

仕事となれば、夜でも子供たちを夫に預けて出先に。

夫は妻の働きを阻止したり揶揄しないし、子供も何となく母は大事な仕事をしているのだろうと感じている。

夫は妻を自分のサブ(従人)ではなく、対等の人間・パートナーとして静かに応援。

子どもの寝顔で癒され、子供の言動で母親としての自己嫌悪に陥るシーン。

仕事の停滞に落ち込んだり、ちょっとした成功にまた頑張ろうと奮い立つシーン。

 

映画キャストみたいに、美人でカッコ良くはないけれども、昔の自分に重なるものが。

そんな時代もあったよね~(♪中島みゆき♪)

いわゆる男性的働きを、妻母の役割もしながら女性が続けることは、結構大変。

しかし、仕事が、社会に関わる一個人(属性ではない)としての自分を発揮できた場所(今現在も)であったと思います。

映画の中でも、高齢出産で産後鬱と診断された記者が、復帰して元気を取り戻します。

これからの時代は、性差に関わらず、相手を尊重し認めていくことがより求められると思います。

 

脇役で、登場する女性上司。

的確な指示をし、時には子育て中の彼女たちを気遣い深夜に残業します。

彼女もカッコイイ。

むしろ、今はこちら側にシフトチェンジです。

 

自分より年上の素敵な女性たちを目標に。

自分より年下の女性たちに賢明な助言を出来るよう。

 

社会派映画としても、働く女性としての視点からも見応えのある映画でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2022.12.20 リアルDr.コトー  その3

翌朝、前日の雨風は止み(と言っても時々降ってくるのが島の気候らしく、何回か降ります)、島内を電動自転車で周ることにしました。  →前回の記事はこちら

与那国島は一周27キロとはいえ起伏が激しいとのこと。

島に沿って道があるので、走っていきます。

サトウキビ畑を横に、ひびの入ったアスファルトを進んでいきます。

晴れると一気に日差しが強い!

日焼け止め塗っておいてよかった。

石垣島の子供には瞼裂斑(瞼裂班)が多いという論文がありましたが、納得。 → 「目が黄色い」

加えて、白内障も進行しやすいだろうな~

展望台に行っても、与那国馬の放牧場を通っても人はいません。

念のため、グーグルマップに次の目的地を入れることにしました。

 

Dr.コトーの診療所を目指します。

ひどい急斜面を降りることになり、途中自転車は置いて進みます。

テレビで見たDr.コトーの志木那島診療所。

一昔前の診療所(昭和~)って感じです。

既にリアル診療所に行き、リアルDr.コトーに会った後もあり、感動はそれほどでも。

でも、自身が離島医療を勉強するきっかけとなったので、見ておかねば。

 

自転車を置いた場所までの上りの急勾配、更に自転車を押しての急勾配に泣きそうになります。

徒歩用にマップを設定していたようで、狭い獣道みたいな経路にはまり込んでしまったのです。

人影は全くない。

役場か診療所にヘルプ!?は避けなければ(いい迷惑)。

過酷な筋トレを課された…のだと言い聞かせ、歯を食いしばり脱出。

 

日本国最西端之碑。

ついに日本の最西端に。

2019年に丸木舟で男女5人が台湾から45時間かけて与那国島にたどり着いた記録が。

それだけ近いということ。

事実、以前は台湾との行き来が盛んな島だったそうです。

 

クルマエビの養殖場・製糖工場を通れば、ここの産業医は?

小・中学校を通れば、学校医も診療所医師が兼務だけど、眼科医は?歯科医は?と、思うこと色々。

 

約半日で1周出来ました。

起伏の多さと急斜面獣道迷い込みにより、体力消耗激しい院長。

ほぼ誰にも会わない道路。

ただの観光というより、ダイビング・釣りの客が多いようです。

 

もし眼科の診療のお手伝いができる日が来たら…

不安もありますが、自身の経験があれば役に立つのでは…とも。

目下、自身のフィールドは『眼科はせ川こうクリニック』。

20年以上にわたる患者さんの眼の健康を最後まで守ることが、一番の使命だと思っています。

離島よりは恵まれた立場ですが、地域医療の信念は変わらない。

総合内科ではないですが、総合眼科(造語)として何でも受け入れる姿勢は貫きたいと思います。

 

与那国空港はとても小さな空港です。

Dr.コトーのポスターが貼ってあります。

島には映画館がないのですが、町の体育館で上映会が開催されたとのこと。

映画館もなくてもいいけれど、あると嬉しい施設のひとつ。

商店も島に数件あるのみで、商品は非常に限られています。

厳しい現実はこんな所にも。

 

なぜか空港の待合室は賑やかというか騒々しい。

中学生たちがおしゃべりしたり、ふざけあったり。

行き先は石垣島。

『何かあるんですか?』気になるオバサン(院長)質問。

『バスケの試合に行くんです』

飛行機に乗って、バスケの試合に!?

離島の飛行機は、こちらの地下鉄と言う感じでしょうか?

島で生まれず(産科施設がない)、生後少し経ってから島に戻ってきた子たち。

高校がないので、15歳になれば島を出ることになる子たち。

 

今回、いつもと違う学びや、考えることが大容量。

離島医療の重みを感じた与那国島の医療体験でした。

 

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県立八重山病院(石垣島)は別の機会に。

今年も一年ありがとうございました。

 

こちらもご覧ください

 

 

 

カテゴリー:健康 公センセの想い

2022.12.13 リアルDr.コトー   その2

与那国島へは、プロペラ機で入島します。  →前回の記事はこちら

蒸しっとした暑さと、ひどい強風と雨(突然降って突然止む)。

南の島~のイメージは到着後、すぐ打消し。

 

島は周囲約27キロ。

人口は1700人弱(ちなみに当院がある名古屋市緑区は約25万人)。

与那国診療所は、島に3つある集落の最も中心の集落にあります。

町立ですが、地域医療振興協会(JADECOM)の管理となっています。

所長(といっても医師一人)こそ、リアルDr.コトーのS先生です。

S先生は、JADECOMの理事ですが、先月で医師不在になり、急遽那覇から与那国に移住し、診療されています。

無医島にするわけにはいきません。

沖縄県には離島が多くあり、JADECOM、県立病院からの派遣、その他経路で医師が診療に従事しています。

みんなリアルDr.コトーです。

 

この日は、割と一般的な病気ばかりだったので、救急搬送をしないといけないケースはありませんでした。

電子カルテが導入されており、CTも設置。

地元の患者さんはそれほど多くないのですが、観光客の増加に伴い多忙になる時も。

一応何でも見ないといけないので、総合診療の現場でもあります。

そのため、初期研修医の地域医療実習機関にもなっており、1年目の医師が1か月研修に来ていました。

いい年をしたオバサン医師(院長)が突然何しに?と、当初、不審そうな目。

そうですよね~(ちゃんと、自分の経歴を説明)。

 

島の医療体制で限界と思ったら、すぐ石垣島や本島(沖縄)に紹介するのが、離島医療の約束。

一人で抱え込まないのは、何処の医療でも同じ。

ヘリや飛行機・船で島外の医療機関に受診して、軽症なら何より。

手遅れにならないように見極めることは、島医療で大事なことです。

Dr.コトーは一人で大手術もしてしまいますが、それはドラマならでは。

 

眼科・皮膚科・耳鼻科・整形外科・産婦人科は月に一回2~3時間外部からの医師による診療があります。

数時間の診療なのは、医師が日帰りのため。

 

カバーが掛かった眼科の機械は、割と新しい。

外来開設に合わせて導入したとのこと。

しかし、最低限のものしかなく、特に眼科は精密光学機器の発展が著しいので、初期の診療にとどまらざるを得ない歯がゆさを感じました。

緑内障のフォローは難しい…

 

先日、鉄粉が入った患者さんが来院。

取れず、石垣島の眼科へ紹介したとのこと。

『どうすれば?』と聞かれ、『眼科医なら顕微鏡下で鉄粉を削り取ります(お手の物)』と答えるも、眼科医でも顕微鏡がない場合は無力だ…と気付く院長でした。

 

産婦人科も月に1回。

妊婦は予定日1か月前になると、島から出て、石垣島や本島・里帰り出産の準備をします。

それ以前に破水でもすれば、ヘリで搬送です。

 

島に暮らす人は、島医療の限界を知っているから、島外に行くことにはそれほどハードルが高くないようです。

石垣島へは、飛行機で25分、フェリーで4時間ですが、生活用品や診療など結構日常的に出かけることが多いようです。

 

民宿の食堂で3人で夕飯を。

ひどく疲れていた院長。

お疲れさま!の一杯が欲しいところ。

S先生は飲まない(飲めない)のだとか。

常にオンコール。

携帯の119が鳴ったら出勤です。

離島では、飲めない体質の方がいいようです。

土日は休みですが、島外からは出られません。

かといって、島内で何をするかというと…?

好きな趣味やすることがあればいいのでしょうが。

院長も若い頃、岐阜の地方の病院に赴任、仕事後は手持ち無沙汰になった記憶が。

結局、地元のオジサンオバサン(と当時は思っていましたが、50~70代)の文化人サークルと称する飲み会に入れてもらいました(一応紹介承認制)。

代診の派遣でまとまった休暇がとれるような制度はあるそう。

医師も人間、解放される時間は必要。

 

島医療の熱い話を聞きながら、医師の生き方あれこれ、自分の来た道あれこれ交錯。

布団に入ってもなかなか寝付けませんでした。

 

*次回に続きます*

カテゴリー:健康 公センセの想い 公センセの日常の出来事

2022.11.29  赤ちゃんの涙

私生活では、赤ちゃんのいる日常からずいぶん遠ざかってしまった院長です。

ただし、眼科診療をしていると、赤ちゃんの患者さんも受診されます。

乳幼児・学童期になるともっと。

小児科ほどではないにしろ、子供と関わることが多い科と言えます。

 

生後まもなく片眼(もしくは両眼)から、涙と目やにが出る赤ちゃんがいます。

心配になって来院されます。

涙が目(涙点)から鼻に抜ける排水管(涙道)が詰まっている病気であることがほとんどです。

先天性鼻涙管閉塞(せんてんせいびるいかんへいそく)という病気です。

新生児の6~20%に発症と言われています。

 

しかし、生後12か月までの自然治癒率は96%と報告されているので、心配しすぎる必要はありません。

基本は経過観察(放っておけばいいということではない)。

 

目やにが出る場合は、抗菌点眼薬を処方します。

粘性や膿性など目やにの性状を見て。

漫然と使用していると、抗菌点眼薬が効かない菌(耐性菌)が出る可能性があります。

これは、鼻涙管閉塞に関わらず、すべての病気で抗菌剤を使用する際、注意すべき点。

目やには湿らせたティッシュや綿でそっと拭き取りましょう。

 

涙嚢(るいのう)マッサージが有効な場合もあります。

涙嚢(目頭のやや下内側)から小鼻に向かって、指で圧をかけます。

5~10回を1日2~4セット。

この時、マッサージをする人の指は爪を切って清潔にしてから。

涙の排水菅(鼻涙管)の一番下の詰まっているところに圧が加わるように。

 

約半年ほど経過を見ても開通しないようなら、プローピング(細い針金ようなものを挿入して詰まりを取る)をします。

最近では、涙道内視鏡での治療も可能になりました。

 

先天性鼻涙管閉塞診療の最新のガイドラインのまとめです。

 

ガイドラインは変化していきます。

専門家によって、多大な論文が検証され、信頼のある(推奨する)検査・治療が決定されます。

全て出所がはっきりしているものです。

私たち眼科専門医も、その都度熟知して診療にあたりたいと思います。

 

生後間もなくは、赤ちゃんは、まだわんわん泣いても涙を流しません。

生理的な(目の表面を保護する)涙だけが分泌されています。

3~4か月で神経系が発達してくると、感情による涙も出るようになります。

生理的な涙の分泌低下、または蒸発が早くなってしまうのがドライアイです。

 

三男出産1週間目で復帰した院長。

赤ちゃんを診療するたびに、患者である赤ちゃんは泣きます。

この泣き声に授乳中の母(院長)は反応。

乳汁分泌ホルモン・オキシトシンの働きでおっぱいが。

診察室で赤ちゃんの泣き声を聞くたびに反応した院長です。

今では笑い話ですが。

 

息子たちの泣く声を聞かなくなってどのくらい?

次の世代の赤ちゃんの声を聞く日が来るのかしら?

『孫が生まれました』の報告を聞きながら思います。

 

 

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2022.8.2   おかげさまで25週年

開業初日の朝は今も記憶に新しい院長です。

8月1日まぶしい快晴の朝。

おかげさまで、25周年を迎えることが出来ました。

あの日以来ずっと地域の開業医として走り続けています。

 

異郷地で、小さな子供たちを抱えながら仕事を続けるのに、開業を選択しました。

開業の翌年に三男を出産。

自営業(開業医)は、産休・育休は保証されておらず、出産日と産後7日休んだ後復帰しました。

地域の開業医としての勝手な自負と責任感、若さゆえの体力が可能にしました(いつ寝ていたのか?)。

保育園の預かり18時に診療終了時間を設定したものの、お迎えはいつも遅刻。

我が家の子供たちはいつもお残り組でした。

 

眼科専門医の資格は取得したにもかかわらず、開業してみると、知識や経験の足らなさを自覚しました。

育児も中途半端で、女医がフルに働くことはなんて難しいんだろう!と嘆いたものです。

 

眼科医としての充実か、母親として育児の充実か?

優先したのは、医師としてのキャリア形成でした(もちろん悩みました)。

 

長男が小学校入学を機会に、自身も大学院入学。

しばらく遠ざかっていた大学病院の緑内障外来や研究。

開業医+育児家事に加え更に厳しい状況になりました。

子供たちがプールで泳いでいるのを見ながらのママ友の雑談から離れて、必死に論文を読んでいました(絶対的に時間が足りないので)。

台所にはパソコンを置き、4時起床が日課となりました。

子どもたちは、平日母とは遊べなくなりました。

 

あの時、今でなくても…と言う声もありました(家人ではない)。

もっと子供が大きくなってから…とか。

でも、あの時しかなかったし、あの時だからこそ出来たのだと思います。

医学博士は、最後のご褒美であって、その過程こそが大きな自信となっています。

 

緑内障の失明症例などを経験していくうちに、視覚障害者補装具適合医師の研修を受け、ロービジョンにも関心を持つようになりました。

パラスポーツを知って、まずは健常者のスポーツ医学を学ぼうと、日本医師会認定健康スポーツ医を取得。

ロービジョンとスポーツ医の次は身体障害者スポーツ医も取得しました。

患者さんの就労環境や健康管理の話から、産業医も取得しました。

また、高齢の患者さんも多いため、名古屋市もの忘れ相談医としてもの忘れ検診を実施しています。

開業以来拝命している学校医も、自身の資格や経験を活かして活動出来ていると思っています。

 

思い立った時はチャンス!

一歩踏み出すことで、その時はたくさん苦労もしょい込むことになりました。

でも、もっと先の未来(現在)に立てば、全てがつながっていると感じます。

眼科医が根幹を占めている院長ですが、色々関心のあることに枝葉を伸ばしたことで、幹も太くなってきたと思います。

 

当院は、オーナーシェフ1人でやっている小さなレストランだと思っています。

シェフの味と人柄を求めてお客様が来てくださるのが、生きがいです。

シェフは、お客様ひとりひとりが大好きです。

同じ気持ちを持ったスタッフも頑張ってくれます。

お客様の期待に応えるべく、気持ちよい空間(屋内外とも)つくりと、味の仕込みを続けています。

『来てよかった~また来るわ~』と言ってもらえる一皿をお出ししたいです。

 

知識も経験も年月を経て蓄えられます。

量ることは出来ませんが、院長の眼科医人生の中で、当院の患者様からの得た経験は大きなウエイトを占めています。

経験を診療で還元できるよう、これからも日々研鑽を積んでまいります。

地域のかかりつけ医として、今後ともよろしくお願いいたします。

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