眼の日焼け 2010.6.5
今週は運動会代休で午前中から子供さんが多くにぎやかなスタートでした。末っ子の運動会も無事終了(もっとも診療後に駆け付けたため出番は組み立て体操のみでしたが)。しかし帰宅すると眼が真っ赤!珍しく診察希望し、案の定紫外線角結膜炎(眼の日焼け)でした。しかし目薬2種類4回を遵守し、時間になると「プロなんだからさして~」と点眼してもらいに来る息子。代休も一人で留守番の息子にとってはスキンシップのひと時だったかもしれません。働く母時々胸チクチクです。
今週は運動会代休で午前中から子供さんが多くにぎやかなスタートでした。末っ子の運動会も無事終了(もっとも診療後に駆け付けたため出番は組み立て体操のみでしたが)。しかし帰宅すると眼が真っ赤!珍しく診察希望し、案の定紫外線角結膜炎(眼の日焼け)でした。しかし目薬2種類4回を遵守し、時間になると「プロなんだからさして~」と点眼してもらいに来る息子。代休も一人で留守番の息子にとってはスキンシップのひと時だったかもしれません。働く母時々胸チクチクです。
春らしい陽気な空を窓越しに見ています。風邪を引いたのかといつものように3日以内で治癒しようと試みたものの一向に軽快せず、むしろ鼻症状が増悪。鼻詰まりで’まみむめも’がしっかり発音出来ないと思えば、今度はさらさらした鼻汁がたらーと出てティッシュが手放せません。料理も鼻閉のせいでいまひとつ何が何だか?という状態です(嗅覚も重要!)。あやうく誤飲しそうになり、食べることが全然楽しくありません。それ以前にお料理も。夜になると耳がつんつんしてきて、寝ている時鼻閉のままだと口呼吸で喉と舌がひりひり(鼻腔を通過した空気は90%の湿度を得ます)。そのため夜中も目覚めて熟睡できません。血液検査をしてみると、ガーン!スギ抗体+!この年になってスギ花粉症初発症でした(と、ここまで書いて昨年も目のしょぼつきでアレルギーの検査をたことを思い出した私。あのまま一時的で治まってしまったのですっかり忘れていました)。毎年1%程度の人が新たに発症する傾向があるといわれていますが、ついにわたしもその有難くない1%に入ってしまったようです。原因はスギだった…と悩んでいても仕方がないので、原因が分かれば対策です。まずは、天気の良い日の外出は極力回避(室内の仕事は幸いしていますが、患者さんの入室とともにくしゃみが出ることも)。マスクの着用。空気清浄機。抗アレルギー剤の内服を朝晩欠かさず、症状に応じて追加、変更(身をもって効果を確認)。洗濯物は乾燥機に一任(家事軽減にも一役)、花粉症対策グッズ(北見のはっか油愛用)も活用!などです。原因に沿って対策を立てれば完璧に克服は無理でもそれなりの効果はあるようです。昨年までは自転車で出かける季節でした。しかし今年の春からはお花見はお預けです。永年スギ花粉症の夫への配慮を今年やっと出来るようになった私。患者さんへの説明にも熱が入ります。スギ花粉症の同士として患者さんにも夫にも共感できたことは医師として、妻としては収穫とプラスに考えましょう。
お弁当を持たせた日、帰ってくると次男が少し照れながら「手間がかけてあるねって言われた。」「誰に?」「××(女子)に」「何で?」(いつもの中味とさして変わらなかったはず)「プリン持ってったでしょ(デザートのフルーツの代わり、今の子供はなぜかデザート付)、その中にバニラビーンズ(バニラの香りのする黒い棒状のさやの中の種)が入っていたから」小学生にして人のお弁当のプリンの中のバニラの粒を見つけるとは!鋭い観察力!他の男子は焦げ粒(失礼な!)だと思ったそうなので。きっとお菓子作りにとても興味があるのでしょう。私も小学校高学年にお菓子作りに興味を抱き、洋菓子の本を眺めては、今でこそありふれたものになっていますが、クリームチーズ?プレーンヨーグルト?生クリーム?など未知なる製菓材料とお菓子の名前を覚え想像を膨らませてました。××さんがバニラの粒を見つけたことといい、息子にかけた言葉はといい、全く関係ない××さんの株は私の中で密かに上昇。○○(息子)のお母さんて素適ー!なんて思われたかもとかなり勝手な想像で一人でにんまりしてしまった私でした。さて、プリンの材料は卵、砂糖、牛乳、バニラビーンズとこれだけ。バニラエッセンスという人工の香料もありますが、天然のバニラビーンズを使うと香りが全然違います。これだけはうちのプリンに必須でちょっと奮発です。オーブン170度でお湯を張って蒸し焼きにすれば材料はシンプルなのになめらかでとろけるプリンに仕上がります。「手間かけてるね。」なんて言葉もなく出されたまま食べる息子たち。うちに女の子がいたら母の株もちょっと上がっていたかも!?
冬のベッドは寒い。年々実感するようになってきました。地球温暖化というのに、冬の夜年々寒く感じるのは何故?やはり加齢?そういえば妊娠中は暖かかかったと回想。私は妊娠中それほど体重増加はなかったのですが、それでも胎児が入り脂肪も付き、あの時は素足でも着るもの1枚でも平気でした。そして出産後も寒いと感じることはなかったような。やはり加齢?プラス一緒に寝る人間の数でしょう。一緒に寝る子供たちの数です。人間湯たんぽの減少言い換えれば子供の自立。’母さん寝よう’と今は三男からだけのお誘いです。広いベッドで放熱する人間湯たんぽは一人に減ってしまいました。子供たちに接触すると(子どもからも寄ってきますが)、彼らの自家放熱によりどんな暖房器具にも劣らないくらい暖かです。その温もりに慣れてしまうと冬のお布団も憂鬱ではありません。子供たちが生まれてから何もしなくても暖かいお布団が当たり前になっていました。しかし子供の成長につれ筋肉質になってきた足が突然身体に当たりその度に衝撃で眼が覚め、夜中に重い身体をどけながら熟睡できずいらいらすることも度々。そうなると安眠妨害のためにこちらは一緒に寝たくなくなるし、向こうも自立したくなり母親と寝るのは格好悪いと思うようになります。そんなで長男は独立(お陰で夜中に起こされることはなくなりました)。次男もそろそろ独立を考えているようです(時々一人で寝たくなる)。三つ(三人)の丸々とした柔らかく甘い人間湯たんぽに囲まれている至福の時は何処へ。三男の人間湯たんぽとの添い寝期間も貴重になってきたと感じる今冬です
朝洗濯機のふたを開け、洗濯物の上に小さなビニールを見つけると嫌な予感!取り出すとポケットティッシュの外袋。洗濯物を引っ張りあげると白い付着物がまんべんなく付いています。またやられたー!三男です。ハンカチとティッシュをポケットに入れたまま洗濯に出してしまいました。ハンカチだけの時はいいのです(干すときズボンが膨らんでいるのに気づけば出して干す。気が付かないときは、そのままたたんだハンカチ入りズボンが乾いてきます)。しかしティッシュとなるとさすが水に溶けにくいというだけあって、パンパン叩いても(ベランダはティッシュの舞となる)大きな断片は取れるものの小さなものや埃のように細かくなったものは取れず、そのまま干すことになります。取り込んだ後はガムテープで残りを除去する作業が待っています。これが平日だと最悪。ただでさえ家事を減らしたい私なのにプラスアルファーは勘弁して欲しいものです。夜、当事者の三男も一緒に洗濯物に’ガムテープ当てティッシュ取り作業’をすることになります。最初は丁寧にやり始めるものの段々いい加減になる私たち。次男はその仕上がりが気に入らずさらに自分の服には気がすむまで埃取りをしています。プラス思考で考えると昔紙パンツをいれて廻してしまった時(10回以上はある)よりはまだまし‥(高吸収ポリマーゆえにすごいことになります)。ですが、やはりティッシュ付き洗濯物はもう干したくない‥。
白いココナッツミルクに透明な粒粒のタピオカが大好きで、中華料理のデザートはいつもこれです。杏仁豆腐もマンゴープリンもいいナーと思うのですが、悩んでも最終的にはいつも注文してしまいます。中華料理店での最後の締めと決まっていますが、年に一度はなぜか自分で作ってみようと言う気になってしまうのです。今回は消臭剤の透明なつぶつぶを見て、タピオカを連想。そうなるとタピオカをどうにも食べなくては!と早速デザート作りに取りかかることになります。まずはお湯でタピオカをゆでること20分、白い粒が透明になってきます。ココナッツミルクは砂糖を入れて少々甘くします。この中にタピオカと今回は自家製小豆(私の十八番)を入れて自己流の出来上がり。しかしカエルを必ず連想する子供たち。(みえるけどね。)決定的なのは ‘嫌いなのに僕たちも食べるの?’と三男。(私以外は杏仁豆腐派!)こうして毎回残り(缶詰一缶で結構な量が出来ます)は一人で食べることになり、ココナッツミルクの濃厚さとタピオカの粒粒感を大好き!を通り越すほど味わった後は、もう2度と家で作るまいと誓う私。’去年もそう言っていたよ’恥ずかしながら懲りていませんでした。
最近の子は主食が白いご飯の時、おかずだけを食べてご飯が残ってしまうことが多いようです。中日新聞によると、メーカー「味の素」が20-70代の124世帯の食事を調査したところ20-30代の作る米飯は丼ものが多かったとのこと。コメントに「40-50代のように限られた時間内に一汁三菜の和食を作る技術は身についておらず、一品で見栄えが良く満足感もある丼になびく」とありました。オーバー40の私としては一安心すると共に、40-50代のひとくくりに年齢を感じました。我が家も私や夫(オーバー40)はおかずとご飯とお汁のどれかが偏って最後に残ってしまうことはありません。それなのに子供たちは、コース料理みたいに順に出てくるわけでもないのに、気が付くと一品だけが残っていたりします。小学生の給食の時間、必ず三角食べを指導されたものでした。「三角食べをしなさい!」と言ったら「何、それ?」。三角食べとは、主食(パン、ご飯)→おかず→汁気(学校では牛乳)→主食→という様に順番に食べていくことで、好き嫌いもなくなり、バランスが取れ、きれいに料理もなくなるというものです。当時、肉が嫌いで小食だった私は、この三角食べのサイクルも最後はおかずの肉で止まりいつも残される羽目になりました。しかし、その後好き嫌いもなくなり、小さい頃に身についた三角食べの習慣により、今でも一つの料理だけを食べることはありません。家庭での多様なスタイル(私たち親世代もなかなか子供への躾が行き届いていません)と、食物アレルギーの有無や食の太さの違いなど個性が重視される時代になり、学校側も給食に対して強制はできなくなっているでしょう。けれど三角食べをすることや、最後まで食べないといけない決まり?があったために給食にまつわるノスタルジックな思い出に浸れるのはオーバー40(含むアラフォーaround 40)の特権だと思います。
寝る前に、答えは決まりきっているのですが、「世界で一番好きなひとは?」と尋ねるのが習慣になっています。ベッドの中でこの答えを聞くと、まだまだいける!と思う私です。甘い言葉で「ママ!」と言ってもらうと、つくづく息子を産んでおいてよかったと思います。とはいうものの、まだ三人の息子が低学年だった頃までは、こんなにもてていいのかしら?と言うくらい激しく「ママ大好き♪」コールを三人から受けていたのですが、最近は期待に応えてくれるのは三年生の三男のみ。三男は末っ子で甘えん坊なので「ママ、いっしょに寝よー」。そこでいつものお決まりの問答が始まるわけです。少しは心優しい?次男は「世界で一番好きなひとは?」と聞くと「母さん!て言って欲しいんでしょー!?しょうがないなー。母さん!」。一方長男は「あほじゃない?何くだらんこといつも聞いとるの?」(しゅーんとしょげる私。)しかしそう言われつつも、一緒に寝たがる時もある(友達には内緒らしい)6年生なのでまだ母への愛?を受け止めてあげています。いよいよ思春期に入れば、もう甘いせりふも抱擁もなくなるでしょう。今までの息子たちとの甘美な思い出を大事に胸に秘め(今後いっしょにお風呂に入ったり寝たりしてくれる機会は私が老婆になってからくらいでしょうか?)、はたから見たら息子命!に思われないよう少しずつ子離れをしていかねばと思いつつも、もうしばらく「世界で一番好きなひとは?」を問う愚母な私です。
入浴も終え、ほっとしていると三男が「明日学校に持っていく雑巾ちょうだい」。
「今、新しい雑巾ないよ。」
「今から100円ショップか薬局で買ってきてー。」
「だったら母さんが作ってあげるわ。」(今さら着替えてメイクして出かけたくない)。
「えっ!作れるのー!?(雑巾は既製品だと思ってたの!?)作ったのでもいいのかなー?(あたりまえでしょ)」。
早速タオル(新品が無く、数回使用した比較的新しいもの)を持ってきて手縫いを始めました。裁縫の出来ない三男にとっては器用に見える手つきで針を進めていく私の指先を見ながら、雑巾が出来ていく様子に感心しつつも、
「みんなのと違うけどいいかなー(タオル四つ折で作る雑巾は100円ショップよりやや大きめで厚いから)。先生に新しい雑巾と言われたけど大丈夫かなー。」
と心配していました。
「厚みがあった方が使いやすいよ。雑巾としては新品(材料のタオルは中古品でも)だし。それに世界で一つしかないからかなり高級(こじつけ)だよ。」
と、不完全な直線の運針跡(人に見られたら私の裁縫の程度がわかるというものですが)のある雑巾を渡しました。私たちが子供の頃は雑巾というと家にある使い古したタオルで作って持っていったものです。子供の保育園時代、雑巾や足拭きを持っていくのに新品のタオルやバスタオルで作るようにいわれ、何故?と思いつつ(今でも??です)雑巾を作るのにわざわざ新品のタオルを調達したものでした。そのうち100円ショップで雑巾が売り出され、材料と手間を考えると提出用はぺらぺらの雑巾一辺倒になっていました。そんなことで子供たちも雑巾は古いタオルの再利用ということを知らなくなっていたようです。私は裁縫は得意ではありませんが手縫い(ミシンは我が家にはありません)の雑巾作りは嫌いではありません。雑巾は運針がどのようであろうと四辺と対角線を縫えばそれなりに使えるようになるからです。翌日帰宅した三男は
「先生に ’母さんの作った雑巾のほうがいいんだよ’ って言われた。」
と報告してくれました。良い結果となりました。担任の先生のご指導に感謝です。
携帯やPCのメール普及により、文通という単語も死語になりつつあるのでは?と思いますが、その文通を20年以上続けています。当時受験生の私の勉強の教材は、朝ラジオから流れる(岐阜では朝5時からの放送でした。予約録音機能などない時代なので、その時間に聞かないと2度と聞けませんでした。)’大学受験ラジオ講座’でした。♪タラタタタター♪♪タラタタタター♪のメロディーは聴いたことがある人しかわからないですが、このメロディーは今も口ずさんでしまう懐かしさです。さて、その昔、漫画雑誌、学習雑誌には文通コーナーがあって、今の個人情報保護法下では信じられないのですが、個人の住所や年齢など開示されていました。ラジオ講座の雑誌にも読者のコーナーがあって、そこで文通相手を求めていたのが、R子ちゃんです。お互い理系、福島と岐阜と離れていても苦しいのは同じと、勉強のこと、その他たわいもないことを書いては送り書いては送り、大学に入学した後も、そして、就職、結婚、出産を経た現在もその交流は続いています。今回は6年ぶり、当院の開院10周年を記念しての再会です。R子ちゃんの一人息子Y君とも初対面でした(6年前はいなかったから)。返事もメールならあっという間ですが、時代に逆らい手書きの手紙で互いの近況をやりとりする私たち。乱筆乱文で書きっ放しも長い付き合いなので無礼講で続いているのかもしれません(今はほとんど文書はPCで打つので乱筆は無いし、乱文の校正も削除や挿入で楽になったので)。大事なペンフレンドのR子ちゃん、これからもヨロシクネ。。
Copyright2024 はせ川こうクリニック All rights reserved.